日記:不自由になること
Added 2023-07-09 22:02:19 +0000 UTC先日、息子が『僕の妻は感情がない』の海水浴回を読んでなんか嬉しそうにしていて、すごく恥ずかしかったです。
今後新しく描くエピソードは、息子に読まれても恥ずかしくない物かどうか、欲を言えば面白いと言ってもらえるかどうか、さらに欲を言えば、息子が読んで良かったと思えるような漫画になっているかどうかという価値基準が生まれたように思います。
漫画、特に長編の漫画を描いていると、今回のように、不自由になったと感じる時があります。
妻や、お友達や知らない人に面白いと言ってもらえた時や、がっかりさせてしまった時。
仕事としてやらせてもらっている時なら編集さんにOKやNGをもらう時。
自分の頭の中に、小さい妻やお友達や、編集さんが生まれて、現在「描きたい」と思っている題材を、あの人は面白いと言ってもらえるだろうか、がっかりさせてしまうだろうかという不安や期待でちょっと胸が苦しくなります。
僕はあまり人と交流できる性格ではない寂しい人間で、漫画が唯一といっていいコミュニケーション方法なので、なおさらそう感じるように思います。
ニセ錬の最初の方で、面白いと言ってくれた人は、今描いている所でがっかりさせてないだろうかとか、とても不安になってストレスでした。かといってあまりそのストレスを表に出すと純粋に楽しめなくなってしまうだろうから、黙々と描いていくのが理想です(できていませんが)。描けば描くほど、読んでくれる人が増えて、不自由になっていく所はあるのだろうなと思います。描きたい物を、そのまま描いてよいのだろうかと、悩むことがどんどん増えていきます。
でも、その人は僕の漫画を読む前から存在していたので、気にせずまったくの自由で、無神経に描いていたら面白いと言ってくれる機会を失ってしまったかもしれないし、最悪嫌な気分にさせていたかもしれないので悩むことが増えたことはとても良い事だと思います。
自分は未熟な人間なので、全部の不自由に完璧な答えを出せることはありえないのですが、自分の中に生まれた不自由と付き合って、乗り越えたり諦めたりした時に、漫画はグッと面白くなるような気がしています。