【告知】現代詩手帖に松下育男さん新詩集の書評を寄稿
Added 2021-09-28 04:45:40 +0000 UTC9月28日発売の雑誌『現代詩手帖』10月号に書評を寄稿しました。詩人・松下育男さんの18年ぶりの詩集『コーヒーに砂糖は入れない』について書いています。
高校3年生だった夏、ふと「今も詩ってあるんだろうか」と思いました。高校時代は白秋や賢治を中心に近代詩をしばしば読んでいたのに、戦後の詩の流れは全く知らなかった。もちろん、昔好んで読んでいた子供向け詩集も戦後の詩人たちが書いたものだったわけですが、それをいわばハリー・ポッターシリーズのように子供時代のおもちゃ箱に閉じ込めてしまっていました。
「現代 詩」などと、ガラケーで検索したんだと思います。すると「現代詩」という言葉と、「現代詩手帖」という雑誌が出てきた。気になって現代詩手帖2010年8月号を取り寄せ、読んで驚きました。それは僕が知っている詩とけっこう違っていた。難解だ、というのとも違います。詩の言葉だと思っていなかった言葉が、詩のために使われていて驚いた、という表現が近いでしょう。
同号の中でとりわけ関心を持ったのは朝吹亮二、松下育男の作品でした。朝吹作品「ほら、ごらん」には新鮮で無機質な言葉の風景があり、松下作品「バス停で傘をさしていた」には瑞々しい孤独の風景があった。この2作がなければ現代詩に関心を持ち続けることはなかったかもしれません。
大学に入ってから、そのときのことをブログに書いたことがあります。今はとっくにブログごと消滅したその記事を読み、覚えてくださっていた人がいて、今回の書評を書かせていただくに至りました。SF作家(しかもエコロジカルコンセプトメイキングおじさんとか言っている俗っぽいやつ)が詩集の書評を書いた経緯は、こういうわけでした。
SF小説を書きはじめる少し前に、松下育男さんの過去の詩集(すべて、僕が現代詩と出会う前に書かれたもの)を熱心に読んだ時期がありました。実は、その経験が僕を詩や建築の世界からSFへとスライドさせたのではないかと思うことがあります。特に初期の松下作品には、この窮屈な世の中で他者を遠く感じ、自分自身が異物(モノ)と化してしまうような疎外の表現が頻出していると感じます。その寂しさや戸惑いは、僕がSF作品を好む理由ととても近いのです。