結局、僕たちはいくつもの店舗を回った。
最初に試着したピンクのフリルワンピースも、真帆に勧められたタイトスカートも、結局は購入することになった。
ほかにもふわふわの可愛らしいパジャマや、ニーハイソックスまで。袋の中は、どこからどう見ても“女の子の私服”ばかりだ。
千尋はその間、ずっと笑顔だった。
僕が「私」と言って、女の子っぽく話すたびに、嬉しそうに頷いてくれる。
その瞳に疑いの色はなく、本当に僕が心を開いたのだと思っているようだった。
(違う……違うのに……!)
心の中で何度も叫ぶのに、口から出る言葉は全部“女子口調”。
背筋に冷や汗を垂らしながら、ただ従うしかなかった。
◆
百貨店を出ると、ちょうど閉店のアナウンスが流れた。
夜の風が吹き抜け、紙袋を揺らす。
「今日は本当に楽しかったです!また一緒に行きましょうね」
千尋は無邪気に笑いながら、僕の手を軽く握った。
「……うん、ありがと。わ、私も、すっごく楽しかったよ……」
喉が焼けるように熱く、声が震えた。
女の子口調でお礼を言うことほど、恥ずかしいことはなかった。
駅の改札をくぐっていく千尋の後ろ姿を見送りながら、胸の奥がぐしゃぐしゃにかき乱される。
彼女にとって僕はもう“心の中に女性の心を宿した男”として見られるのだろう……。
◆
「さて、レンくん」
瑠衣がわざとらしく声を弾ませた。
「せっかくだし、近くのカフェで休んでから帰ろうか」
「えっ……まだ寄るんですか……?」
足がすでに重いのに、逆らう選択肢は残されていなかった。
真帆もにこりと笑い、当然のように先導していく。
僕は小さなため息を押し殺しながら、その後を追った。
夜のカフェは、照明が落ち着いていて静かだった。
心地のいいはずのジャズの音色が、今はうるさく感じる。
丸テーブルに腰を下ろすと、今日一日の緊張が押し寄せてくる。
アイスコーヒーの氷をストローでかき混ぜながら、思わず口が開いた。
「……今日、ほんと、恥ずかしかったんです……」
真帆が「どのへんが?」と楽しげに促す。
僕は俯きながら、ひとつずつ吐き出した。
「まず……昼休み……千尋ちゃんに、あの事務服姿を見られたこと……」
あの日の自分の映像が頭に蘇り、耳まで熱くなる。
「それに……真っ赤な下着。ブラを着けている事が……千尋ちゃんに気づかれて……」
声が震え、言葉が途切れる。
真帆が小さく笑った気配がした。
「あと……いちばん辛かったのは……」
胸を押さえながら、喉を絞り出すように続ける。
「……僕が……本当に女の子になりたいんだって……千尋ちゃんに勘違いされたこと……」
言った瞬間、頭がくらくらした。
羞恥と屈辱で胸が詰まりそうになる。
「なるほどねぇ」
瑠衣が満足そうに頷き、カップを傾ける。
その横顔は、まるで上手く調教が進んでいることを確認しているようだった。
「でもレンくん、“私”って自然に言えてたわよ。千尋ちゃん、すごく嬉しそうだったじゃない」
「……そ、それは……」
否定したいのに、言葉にならない。
真帆はスマホをテーブルに置き、軽く笑った。
画面には、今日の僕の姿が映っている。
ピンクのフリルワンピースを試着して笑う僕――いや、“私”。
「だ、大丈夫だよね……?あの女子トイレから出てくる画像は……」
必死に問いかける。
「もちろん誰にも言っていないし見せていないよ。千尋ちゃんにもね」
瑠衣の声は甘いのに、逃げ場を塞ぐように冷たい。
もう元の生活には戻れない――その現実だけが突きつけられていた。
◆
カップの縁に口をつけたまま、瑠衣が何気ない調子で口を開いた。
「そういえばさ……レンくんって、普段、自慰行為ってしてる?」
「――――えっ!?」
「オナニーの事だよ、オナニー」
指先が震え、持っていたグラスからカランと氷が鳴った。
あまりに直球の問いに、喉がひゅっと塞がる。
「え、えっと……その……」
必死に言葉を探すのに、舌がうまく回らない。
赤くなっていく顔を隠そうと視線を落とす。
「なにそれ、そんなに恥ずかしい質問?」
わざとらしく首を傾げる瑠衣。
まるで自分の狼狽を楽しんでいるようだ。
「人並みには……してます……」
絞り出すように答えると、彼女の瞳が一段と輝きを増した。
「ふふっ、人並みってどれくらい?」
今度はもっと具体的に突っ込んでくる。
逃げ場を与えるつもりなど、はなからない。
「……しゅ、週に……三回くらい……です」
机の下で拳を握りしめ、耐えるように吐き出した。
羞恥が全身を駆け巡り、耳の裏までじんじん熱い。
「へえ、三回ね。意外と控えめなんだ」
瑠衣は唇を尖らせ、面白そうに小さく笑った。
「男の子なら、もっと欲望に正直でもいいと思ったけど」
真帆も横から話に入ってくる。
「な、なんでそんなことまで……」
情けなく抗議すると、彼女の表情はさらに楽しげに緩む。
「だって、これからは私たちが管理してあげるんだもん」
囁くような声に、思わず背筋がぞわっと震えた
◆
「……か、管理……?」
「そう。普通にオナニーするのは禁止」
カフェのざわめきの中で、その言葉だけが異様に鮮明に耳へ刺さる。
「き、禁止……?」
「要はおちんちんを擦って射精するがダメって事だね」
瑠衣は当たり前のように続ける。
「その代わりね、今日買った女の子の服。まずはあれを必ず着ること。ブラウスでもスカートでも、下着でもいい。レンくんが“女の子として”扱われてる服。必ず身につけてから」
胸の奥がどくん、と跳ねる。
羞恥と屈辱が一気に押し寄せて、言葉が出てこない。
「でね、女の子の服を着たまま、当分は乳首だけで感じる練習をしてもらう。触って、つねって、擦って……自分の身体を“女の子みたいに”開発するの」
羞恥と恐怖が混じる。
カフェの空気が急に薄くなった気がする。
「そ、そんな……無理です……!」
反射的に否定の声が漏れる。
だけど、その否定の弱々しさすら、彼女の笑みに餌を与えてしまった。
「無理?ふふ、最初は誰だってそう言うの。大丈夫、すぐ慣れて乳首だけでイケるようになれるよ。女の子みたいにね」
瑠衣はまるで先生が生徒を諭すように、やわらかな声で告げる。
しかしその優しさが、かえって逃げ道を塞いでいく。
「今日、帰ったらすぐ実行してね。感想は明日、ちゃんと報告してもらうから。サボったりしたら……どうなるか、わかってるよね?」
「っ……」
言葉を飲み込み、唇を噛んだ。
抗えない関係。
選択肢など、最初から存在しない。
カフェの天井から流れるBGMが遠く、ぼやけていく。
冷えたアイスコーヒーのグラスを握る掌には、じっとりと汗が滲んでいた。
新しいルール。
それは甘く残酷に、僕の世界を塗り替えていく――。
【10章へつづく…】
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