祖父を見送って感じたこと、願うこと。(※長いです)
Added 2020-05-18 03:20:41 +0000 UTC誰にでも必ず訪れる”大切な人との別れ”を後悔しないように……。
祖父への手向、思い出として綴ります。
この記事を読んで、少しでも誰かの心を動かせたなら幸いです。
記事には団長の幼い頃の話や、ここ最近で起こっていたお話を詰め込んでおります。
幼い頃、歩いて20分ほどの祖父母の家へ行くのが大好きだった。
自分の家とは違う古風な建物が物珍しいのもあって、従姉妹たちとよく家の中や庭、屋上なんかを走り回ってはやんちゃも沢山したもので、父にはしこたま怒られていた。
それでも目を盗んではやんちゃをやらかす私達を、祖父母は止めるでもなく怒るでもなく「怪我しないように」とだけ告げて、見守ってくれた。
窓の縁に登って飛び降りたり。
柱に登って隠れんぼをしたり。
屋上を駆けずり回って二階から飛び降りたり。
庭の木に登って枝を折ってしまったり。
今思えばなんて迷惑なクソガキだったんだ……と、自分でも頭を抱えたくなるほどの悪餓鬼だったが、祖父母に叱られたことは一度たりともなかった。
本当に本当に優しい人たちで、何も言わないけれど私たちが怪我をしそうな場所は後からこっそり補強したり、ガードを付けたりなんかして、怪我をしないように気を配ってくれていたりして。
そんな優しさに大人になって気付いて、大好きだなぁ、と改めて感じるこの頃。
そんな大好きな祖父母と一緒に居たくて、遊びに行くたびにお泊りしていきたいと駄々をこねて父をよく困らせたのも懐かしい。
泊まりたいとごねる私たちを、祖父母が断ることは一度もなかった。
無口で喋らないけれど、私たち孫が遊びに来ればいつのまにかひっそりと家の中から居なくなっていて、気付けば大量のお菓子やジュースを両手に持って現れるから、その甘さにとことん甘えたかったのかもしれない。
雨の日でも夜でも、祖父は私達のためにと自転車にまたがって、何も言わずに近くのスーパーへ行くと、子供が喜ぶようなお菓子を買って帰ってくるのだ。
テレビだって野球やニュースを観ていたはずなのに、私たちがテレビの前に座ると無言でアニメを付けてくれたり。
ヘビースモーカーなのにタバコを我慢したり。
本当に、本当に優しい人だった。
連絡もなしに突然に遊びに行っても、祖父は穏やかな笑みを目尻に浮かべて「はいはい、いらっしゃい」と快く出迎えてくれる。
そしてふと居なくなるとお菓子を持って現れて、私たちの頭を撫でてくれて。
夜になれば祖母がご飯を作ってくれて。
暖かくて大好きな家だ。
お正月になれば祖父が孫達ひとりひとりに手渡しで「はい、どうぞ。はい、どうぞ」とお年玉を配ってくれるのも、忘れられない思い出である。
大人になって行くにつれて、仕事が始まると遊びに行けない日々が増えていった。
行事の度に顔を出すものの、祖父母が少しずつ小さく見え始めて驚いて。
祖父母を見下ろすようになったのはいつからだったのかも思い出せず、その時すでに齢80を越えていたという事実を後から知って更に驚いた。
なんと私と祖父は70近くも歳が離れていたのだ。
やがて仕事が本格的に忙しくなっていき、私はお盆も正月でさえも休みが取れず祖父母の家に顔を出すことが難しくなっていった。
仕方のない事とは言え、どこか祖父母に申し訳のなさを感じながらも仕事ばかりを優先していた3年前。
勤務中の私に父から連絡が入った。
急いで病院へ行かなくちゃいけないという話を聞かされ、その日は早退という形で職場を後にして、父と共に病院へ向かえば我が目を疑った。
いつまでも元気だと思っていた祖母が、脳卒中で倒れ病院に運ばれていたのだ。
しばらく見ていなかった祖母はすっかり痩せ細っていて、脳卒中のせいか認知症が出てしまい、私の顔を見ても知らない人を見る目をして言葉もなかった。
あまりのショックに泣き出してしまった私の肩に、父が無言で手を乗せた。
その手はほんの少し震えているようで、私たちはここでようやく人は歳を取り、衰えて行くということを思い知らされたのだ。
父が祖母を「母さん、早く元気になってな」と告げると、祖母は少しだけ父を見上げ、考えるような仕草をした。
けれども、やはり何も言うことはなく、看護師さんに言われて私たちは面会時間の終わりを迎えて。
ただただ、言葉をなくしていた。
そのままの足で祖父のいる家へと行けば、そこでもまた絶句させられた。
父からは少し聴いていたけれど、実際に目にするとショックが大きすぎてまた泣きそうになった。
祖父もまた、足腰が弱くなり満足には立てなくなっていたのだ。
私の姿を見るといつものように「はいはい、いらっしゃい」と言って小さく笑ってくれたが、その様子はどこか弱々しくて「久しぶりだね、じぃじ元気だった?」と訊ねるのが精一杯だった。
祖父母はいつまでも元気であると信じ込んでいただけに、月日が経って何年かぶりに目の当たりにしたふたりの変化に心がついていかなくて、そしてそんなふたりを見るのが苦しくて、その日以降、また仕事に没頭するようになった。
お正月やお盆は3日のうち1日だけお休みを貰えるように上司に掛け合って、行事の時だけは会いに行くようにしたものの。
休みだからと言って突然訪問することはもう、なくなってしまった。
そんな風に過ごしているうちに、遠くへの出張が決まって実家からも離れると、思い出すのは祖父母のことだった。
疲れた日に眠りにつけば、祖父母の家を駆け回ってる幼い頃の夢を見た。
時々母から掛かって来る電話の向こうから、妹や双子の弟達の声を聞いて安心して、飼い猫のポンタンの泣き声に癒されて、なんとかひとりきりの出張もやれていたのだけれど。
年越し前の12月30日。
随分と歳を取っていた飼い猫のポンタンが息を引き取ったと言う連絡が入り、初めて出張で実家を出たことを呪いたくなった。
子猫の頃からずっと面倒を見て、私の娘のように愛しくて大好きで、帰ったら沢山甘やかしてやろうと決めていたポンタンの訃報を認められず、最後に側に居てあげられず、やりきれない思いに幼少期以来ぶりに声を上げて泣いてしまった。
妹や弟達から「庭にお墓作ったよ」という連絡を貰って、帰ったらお参りさせてねと返事を返して。
帰ってもポンタンにはもう会えないんだという寂しさからまた仕事に没頭するようになって、そうして体調を崩せば「何やってんだ私……」と自分に呆れた。
年始早々風邪をこじらせて寝込んだ私をさすがの上司も心配したのか、家でしっかり休めと短期休暇をくださって。
仕事をしていない間、寝ることしか出来ない自分にさらに「しょうもないことしてるなぁ……」なんて落ち込んで。
何もしないで引きこもっている間はとにかくメンタルを回復させることに努めて、短期休暇明けには鬼のように仕事を終わらせてようやく自分のペースを取り戻した。
やがて繁忙期に入ると何かを考えることが難しいほど忙しくなって、家に帰れない夜もあったりして、けれども体調を崩すことだけはしたくなくて毎日を必死に過ごしているとあっという間に任期が終わった。
出張していたその間、実家に里帰りしたのは一度きりで、それも2日と居なかったゆえに母にはよくそのことで小言を溢される。
慌ただしく荷造りに奮闘しようやく実家に帰れば、従姉妹が悪阻が酷いからと甥っ子を連れて我が家に避難してきていて休むどころではなく、元気に走り回る甥っ子が怪我をしないようにと家中の角という角にガードを取り付けて、足元が危険じゃなくなるようにと壁に棚を設置したりして。
そんなことをしているうちに、復帰した部署での引き継ぎやら回されてきた仕事やらでまた忙しくなって。
休みの日は従姉妹を定期検診で病院に連れていってやったり、元気すぎる甥っ子の面倒を見てやったりと忙しなく過ごすことになった。
そのおかげか、私が帰宅するといつも玄関でお迎えをしてくれていたポンタンが居ないことに悲しくなるものの、しんみりとしているそんな暇はなくて。
従姉妹と甥っ子の存在に、いくらか気持ちが助けられたように思う。
ひと月も過ぎればポンタンが家に居たことを懐かしく思えるようになって、人は慣れることが出来るんだな……なんて改めて思い出して。
それでもふとした時に寂しくなって、妹と二人で「ポンタン可愛かったね」なんて思い出話をして写真を眺めた。
そうして落ち着いて来た頃、ふと思い付いたのは祖父母のことだった。
緊急事態宣言のこともあってすぐ会いに行けないことが申し訳なかったが、去年は行けなかったから、今年は忙しくてもお盆とお正月にお休みをもらって必ず会いに行こうと決めていた。
早く事態が落ち着かないかと毎日ニュースで確認して、まだダメ、まだダメを繰り返していたある日。
また、勤務中の私に父から電話が入った。
勤務中には絶対に連絡してこない父からの電話に、嫌な既視感が蘇る。
「もしもし?」と訊ねる私に、父は重苦しそうに息を吸うとただ一言、「爺様が亡くなった」と告げた。
今すぐ帰って来るようにと簡潔に伝えられて、訳がわからないまま職場を後にして家へ帰ると、母と父が黒い装いで私を出迎え「お帰り」と言った。
「今からお通夜に行く」と言われ急いで服を着替えたが、祖父が安置されているという場所へ向かう道中での私の頭の中はパニックになっていた。
母も父も「もう歳だったから」「老衰だったってね……」なんて会話をしていたが、私にはなんの話だかさっぱりで。
祖父の居る場所へ着き棺の中に横たわる祖父を見るなり、嘘だと思い込もうとしていた思考が大きく揺さぶられたみたいに痛んで、綺麗な顔で眠ってるようにしか見えない祖父に、嘘でしょ……?と呟いていた。
今年は必ず会いに行くって決めていただけに、間に合わなかったのだと思い知ると鈍器で頭を殴られたみたいだった。
申し訳のなさと、衰えて行く祖父母を見ていたくなかったなんて考えていた自身への自己嫌悪で、それ以上の言葉が出なくて。
先に来ていた叔父や叔母に挨拶もなしに、寝ているようにしか見えない祖父の側で動くことも出来ずに泣きじゃくってしまった。
口には出さずに、ごめんなさいを何度も呟いて。
随分と痩せ細ってしまった祖父の肩に苦しくなって。
私の頭を撫でてくれたその手がもう動かないのだと知るとどうしようもない気持ちになって。
祖父を見つめて言葉も出さず立ち尽くす父に悲しくなって、
母の静かな嗚咽を遠くで聴いていた。
きゅっと引き結ばれた祖父の唇は随分と色を無くしていて、そこに温度がないことを見て知って。
それ以上は顔を見ることが出来なかった。
叔父と叔母から話を聞くために祖父から少し離れて経緯を聞くと、少し前に体調を悪くして入院し、そのまますぐに亡くなってしまったのだと教えてくれた。
父は予め祖父の入院について連絡を受けていたが、緊急事態宣言の中ではどうすることも出来ないと判断し私や母には黙っていたようで、祖父は叔父に見守られひっそりと息を引き取ったのだという。
眠っている顔には苦痛の色はなく、苦しみはなかったのがせめてもの救いで。
それでも私はふとした時に棺を見ると泣きそうになった。
その後もしばらくその場に居たが、状況が状況なだけに長居も出来ず、祖母ともう一人の叔父が待つ祖父母の家へと足を向かわせた。
脳卒中から認知症を患い、座ることは出来ても歩き回ることが出来なくなった祖母の様子を見に行けば、ベッドに横たわり私の顔を見ても何も言わず、また知らない人を見る目を向けられて、胸に苦いものが込み上がる。
それでも父のことだけはわかったようで「母さん、元気?」と訊ねる父の顔に祖母が力なく顔を近づけて、目を大きく開けてじっと見ていた。
言葉はないものの、どこか嬉しそうな表情をする祖母に父も安堵したように笑って、けれども叔父から「父さんのことはまだ母さんに教えてないんだ」という言葉にやるせない気持ちになる。
こんな状態の祖母に、祖父のことをどう伝えればいいのか。
父はただ「そうか……」とだけ返して、私達には先に家を出るように促した。
叔父とふたりで何か話していたようだが、その件についても私達には何を教えることもなく。
遅れて出てきた父と三人で、すっかり暗くなった家までの道を言葉少なに帰った。
待っていた弟達や従姉妹に事情を話して、明日告別式があると教えればみんなが行きたいと言った。
けれども少人数での告別式をお願いされているため、祖父に会いたいという妊娠中の従姉妹やまだ幼い妹達は置いて行くことになり、また私と父と母の三人で告別式に行くことが決定した。
早い時間から向かった告別式場で、マスクもハンカチも馬鹿みたいにびしょびしょにしてしまった。
会場について早々泣いて、お経が読み上げられれば泣いて、焼香の時にまた泣いて。
花を添える時にも、火葬の時にも、真っ白な骨を見た時も、それを箸で拾う時にも。
馬鹿みたいに泣きじゃくって、祖父が大好きでたまらなかった自分を思い出して、会いに行けなかった日々を悔やんだ。
してもらうばかりで何も出来なかったから、大人になって余裕が出来たら沢山返して行こうと思っていたのに。
それが叶わなくなって、遅すぎた自分に腹が立って、何より寂しくて。
小さな骨壺に収まってしまった祖父を見るたび「ごめんね」と繰り返した。
式場を出て祖母の待つ家へ祖父を連れて帰っても、祖母は何が起こっているのかも分からずにベッドに横たわっていて。
何もしてやれない不甲斐なさに祖母の顔を見にも行けず。
手を合わせて、祖父に最後に精一杯の「おやすみなさい」を告げると、私達親子は祖父母の家を後にした。
身重でも会いに行きたかったと残念がる従姉妹に「今度の初七日に会いに行こう」と声をかけて、あとは甥っ子を抱っこして瞼の腫れを引かせようと必死になった。
明日一日は休みを貰ったものの、ふとした時に思い出してトイレでこっそり泣いたり、運転中にマスクに隠して泣いたり、情緒が不安定すぎて自分でも引くほどの泣きっぷりで、私はこんなに涙もろかったのかと驚いた。
祖父のお葬式から3日目でようやく少し実感が湧いてきて、脆い涙腺はそのままだけれど、こんなことがあったなぁ……なんて思い出すことが出来る様になった。
こんなご時世だからこそ、後悔しないためにも、何か早めに自分に出来ることがあれば実行したいしみんなにもやってほしい。
大切な人であればあるほど、出来なかった時の後悔は悔やみきれないほど大きいだろうから。
大切な人のために、今出来ることを。
少しでも、時間がかかっても、間に合ううちに実行してほしい。
私が祖母にできることは顔を見に行くことと、元気な顔を見せることと、介護のお金の援助くらいしか今は見つけられないけれど、沢山写真を撮って、少しでも多くの思い出を残したいと考えています。
こんなに長々と綴ったのは、祖父母への想いをいつでも私がすぐに思い出せるようにという願いと。
何も出来なかったという後悔を抱える人が少しでも減ってくれればという願いがあってのことなので、最後まで読んでくださった方がどうか、悔いのない人生を送れますように。
しんみりとしたお話をしましたが、団長は元気です。
日々前向きに、今からでも出来ることを探して、祖母や両親をどう笑わせて今後を過ごそうかと考えております。
可愛い甥っ子や姪っ子もあちこち遊びに連れて行ってあげたいから、早くいろんなことが自由に出来る時が返ってくることを強く願います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
みんなが笑って過ごせますように……。