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最果てのパンドラ外伝 『魔女のパンケーキ』                       ~魔女のパンケーキ~

   魔女のパンケーキと魔狼の夜 「ウィル、パンケーキが食べたいです」  パンドラはふと本から目を離して、そう語りかけてきた。  本に熱中するパンドラにしては珍しい事だと思いながら、ハンモックの上から椅子に腰掛ける彼女に視線を送る。  魔狼に見つめられた少女は、恐ろしげな怪物に視線を向けられても恐れるどころか、にこりと微笑みを浮かべた。 「どうした、お腹がすいたのか?」  疑問だけを口にして、その笑顔の眩しさから視線を逸らす。  木の梢から見える陽光は少し傾いているようだった。しかし、まだ夕食には早い時間だ。 「そうじゃないんです。これを見てください、ウィル」  彼女はそういって自分が読んでいた本を我に差し出してくる。  古書の匂いを漂わせる本には、一つの挿絵と『魔女のパンケーキ』なる文字が踊っていた。 「ふむ、魔女のパンケーキか」  そこには、偶然にも魔女の森に迷い込んだ筆者が魔女によって饗され、振る舞われたパンケーキを絶賛する一節がある。  曰く、  黄金に輝く温かな蜂蜜は舌を甘く蕩けさせ、ふわふわの生地のナイフを軽く押し当てるだけで二つに分けられる。  ふかふかと湯気を立てるパンケーキの上に飾られたバターは処女雪のように淡く溶け出し、その塩気をもって蜂蜜の甘さとダンスを繰り広げる。色とりどりのベリーの酸味は、ともすれば甘さに溺れてしまいそうな味覚を目覚めさせ、まためくるめく官能の渦へと私を誘い出す。  朝に絞られた牛の乳は人肌に暖められ、喉を優しく潤してくれる。テーブルに並べられたパンケーキはまさに曙光のごとき福音となって、いまだ神を見ぬ私に神の威光をつよくつよく知らしめるのだ。  と書いてある。  なるほど。  これは確かに食欲をそそる文だ。  吟遊詩人も顔負けであろう。  本をひっくり返してみると、そこには見知った作家の名前。  タイトルから、パンドラが好きな絵本作家の筆者が残した旅行記だと知れる。  ならばパンドラが興味を惹かれるのも無理ないことだろう。   目をキラキラと輝かせながら、我をみつめてくるパンドラ。  彼女がなにを期待しているかなど、だれの目にも明らかであろう。  しかしながら、夕食にはまだ早い。  しばし悩む。ここで拒絶すれば、彼女はきっとガッカリするだろう。  せっかく興味をもったものを無碍にするのも忍びない。  ゆえに我が導き出した答えは―― 「夜まで待つがいい」  という玉虫色のものだった。 「わーい、ウィル。大好きです」  しかし、彼女は子供のように――実際に子供なのだが――大袈裟に我に抱きついてきた。  その屈託のない仕草にどんな反応をすべきか分からず、我は困ったように顎を指先で掻くのであった。  食卓に並べられた黄金にパンドラは、目に満天の星空を湛えた。  並べられたのは様々な種類のパンケーキだ。  ふんだんに牛乳と生クリームを使ってフワフワに仕上げたもの。カリカリに焼いたハード生地のパンケーキ。数種のベリーをサンドしたもの。しっかりと焼き上げカリカリのベーコンと卵を乗せたもの。ひき肉とトマトを煮込んだソースをかけて食べるもの。  その他にも多種多様なパンケーキが、しっかりとした食卓に並べられていた。  すでに日は落ち、樹居(ツリーハウス)の中には青白い魔法の灯が灯っている。  パンドラは広げられた宝石箱のようなパンケーキの海に、ひどく感激しているようだ。 「すごいすごい。こんなに沢山、食べきれないくらいです。ウィル、すごいです」 「こらこら、埃が舞うから飛びてはいけないぞ」  興奮した様子でジャンプを繰り返すパンドラに苦笑しながら、最後に切り分けてよくほぐした魚の身をテーブルに添える。  思いのほか時間がかかったのは、たくさんのパンケーキを用意していたからだ。  幸いにして材料に困ることはなく、楽園のようなこの地では沢山の貴重な物が集まった。  さすがに香辛料までは揃わなかったが、パンケーキであれば素材に困ることはなかった。  驚くことに極めて珍しいとされる星蜜蜂(スターハニー)や、美味として有名な珠石果実(ジュエルベリー)、特殊な高山でしか育たないと言われる霜喰み牛なども飼われていた  おかげで宮廷料理でもめったにお目にかかれないようなパンケーキが食卓に並んだ。  珍しく高価な食材を目の当たりにして、旅の途中で多くの料理を学んできた経験も手伝って、厨房ではかなり張り切ってしまった。  『戦場の悪鬼』とすら評される魔狼が、厨房に立って上機嫌に料理をする姿など、余人からすればかなり奇妙なものだったのは想像に難くない。 「さあ、冷めないうちにいただくとしよう」  花柄のエプロンを脱ぎ、椅子にこしかけて合掌。  我の習慣に倣うようにパンドラも、その小さな手を合わせる。  パンドラは皿に並べられたパンケーキに目移りしながらも、ナイフを動かして、皿の中身を口に運んでいく。  ニコニコと幸せそうに目を細め、暖められた甘い蜂蜜の味に、カエデの木から採取されたメープルシロップの味に、あるいは塩気のきいたバターに舌鼓をうちながらパクパクと食べている。  我は、努力の甲斐があった、と満足しながら味の違うパンケーキを少しずつ食していく。  肉ばかりを喰らうと信じられている魔狼だが、我は甘味を好み、淡白な魚の味も嫌いではない。  流言や噂はあてになどならないのだ。 「うまいか?」 「おいしいです。とっても美味しいです。やっぱりウィルはお料理上手です」  ほくほくと満面の笑みをみせるパンドラに、くすりと口端を歪める。  魔狼の顔で笑うと、人間は怯えるのだがパンドラはニコリと笑顔を浮かべた。 「あ、ウィル」 「どうした?」 「ほっぺに蜂蜜がついてますよ」  むっ、と唸りハンカチで頬を拭う。魔狼や人狼族のような鼻先の長い亜人はこういう事がままあるのだ。  ぐしぐしと頬を拭ってみるも、パンドラの微笑みは消えること無かった。 「ウィルってちょっと不器用さんですか?」 「……我らは人と同じような食事をすることに向いていないのだよ」  ニコニコと微笑む少女に意地を張るように言うと、彼女はふわふわのパンケーキにたっぷりのメープルシロップとバターを塗りつけてフォークで刺すと、我に突きつけて―― 「ウィル。はい、あーんしてください」  と世にも恐ろしいことを口にしてきた。 「な、なにを?」 「ウィルは食べにくいんでしょう。だから私が食べさせてあげます。それに昨日読んだ本には、好きな人にはこうするのが礼儀だって書いてました」  パンドラはどこまでも真剣な目で、我にパンケーキを突き出してくる。これではまるで恋仲にある者同士のようではないか。 「わ、我は人ではないぞ」 「いいから、いいから」  じわじわと迫ってくる甘い誘惑。 「か、かんべんしてくれ」  ジリジリと距離を詰めてくる少女に、そんな苦し紛れの一言を告げることが、私にとっての精いっぱいの反撃なのであった。                       魔女のパンケーキと魔狼の夜・ 了

最果てのパンドラ外伝 『魔女のパンケーキ』                       ~魔女のパンケーキ~

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