【小説】人生体験機
Added 2021-09-10 14:13:21 +0000 UTC「はぁ……」
ため息をつきながら、俺はすっかり日が暮れた夜の繁華街を歩いていた。
最悪な一日だった。
上司には怒鳴られ、取引先からは舐めた態度で対応され、同僚からは仕事のできない奴と冷めた目を向けられ……。
もちろん、こんな日は今日だけじゃない。
働き始めてからずっとこんな毎日だ。
溜まる一方のストレスは確実に俺の精神を削っている。
「もう辞めちまおうか……」
思わずそんなことを呟いてしまうが、もし仕事辞めてしまったらいったいどうなってしまうことやら。
新卒で就活したときですら何度も面接を受け続けてようやく今の会社から内定を貰ったというのに、こんな中途半端な経歴でスキルも身についてない今の俺では転職などできるかも怪しいし、下手すれば無収入のフリーターに一直線だ。
蓄えがあるとも言えない現状ではあまりにリスクの高い選択肢だと言えよう。
「はあ……」
再び、俺の口からため息が漏れる。
ため息をつくと幸せが逃げていくと言うが、元から幸せがなければたいして関係ないだろう。
そんなことを考えていると、何者かが俺の行く手を遮ってきた。
「こんばんは! お兄さん、お一人ですか?」
突然声をかけられ、俺は顔を上げた。
そこにいたのは、執事が着るような燕尾服に身を包んだ若い女性だった。
ショートカットにした髪は中性的と言うよりもどこか幼い雰囲気を感じさせ、執事のコスプレをした女の子という印象が強い。
……風俗のキャッチか何かだろうか?
「なんだかすごく疲れた顔をしてらっしゃいますね。そんな貴方にオススメの、とーっても幸せな気分になれるサービスがあるんですが、いかがです?」
予想通り、女性は俺を店か何かに案内しようとしているようだ。
正直なところ、普段ならこういったことにあまり興味はない。
だが、メンタルがズタボロになっている今の俺にはなんでもいいから癒しが欲しかった。
「……そうですね、ちょっと興味あります」
「わ、本当ですかー!? ありがとうございます!」
俺が返事をすると、女性は嬉しそうな顔をしながらお辞儀をしてきた。
「それじゃあお店までお連れしますね。遠くはないのですぐ着きますよ。あ、そうだこれお渡ししておきます。うちのお店のサービス券です。受付で渡したら料金を割引してもらえるので」
女性は捲し立てるように喋るとそのまま店までの道案内を始めた。
薄暗い路地の方へと、女性はどんどん足を進めていく。
俺は戸惑いながらも、女性の後をついていった。
歩きながら、何気なく手渡された券を見る。
券には、店の名前だと思われる『Happy Life』という文字が書かれていた。
こういう券にはお店の情報とか公式サイトへのQRコードなんかがついてるイメージがあるがそういったものは全く書かれていない。
……なんだか少し怪しい印象を受ける。
「着きました、ここです」
女性は路地裏の先にあったビルの前で立ち止まった。
入り口には重厚な黒い扉がついており、周りに窓がないのもあって中の様子は全然わからない。
普段こういう店にはあまり来ないため少し気圧されてしまう。
「さあ、どうぞ!」
女性が扉を開き俺を中に招き入れてくる。
俺は恐る恐る薄暗い店内へと足を踏み入れた。
「それでは、良い人生を」
「え?」
女性の意味深な言葉に振り向いたが、意味を問いただす前に扉を閉められてしまった。
何も考えずに来てしまったが、今更になって少し不安になってきた。
遊び慣れてるわけでもないのにいきなり一人でこんな店に来てよかったのだろうか。
「いらっしゃいませ、Happy Lifeへようこそ」
すると、前の方から声をかけられた。
声の方を見ると、先ほどの女性と同じように燕尾服を着た若い女性がこちらを見ていた。
長い髪を束ねていて先ほどの女性よりは落ち着いた雰囲気を感じる。
周りをよく見ると、どうやらここは受付のフロアのようだ。
「初めてのお客様ですよね。説明は必要でしょうか?」
「あ、お願いします……風俗とか普段来ないので、勝手とかあまりよくわからなくて……」
俺がそう言うと、受付の女性は呆気に取られたような顔をした後、くすくすと笑い始めた。
俺、何かおかしなことを言っただろうか?
「ふふっ……申し訳ありません、当店はそういったお店ではないんですよ。外にいた店員から何も聞きませんでしたか?」
「え……たしか、とても幸せな気分になれるとか、なんとか……」
外にいた女性の話から勝手に風俗だと思ってここに来たのだが、どうやら完全に俺の勘違いだったらしい。
なんとも恥ずかしい話だ。
穴があったら入りたい。
「大丈夫ですよ。きちんと説明いたしますので」
女性は馬鹿にするでもなく、優しい言葉で俺に語りかけてきた。
「当店は、お客様に幸せな人生を体験していただくサービスを行っております」
「幸せな人生を……体験……?」
言っている意味がよくわからず困惑してしまう。
幸せという言葉を毎回強調していることからなんらかの癒しを与えてくれそうなのはわかるが、どうにも何をする店なのかがわからない。
「ええ、お客様には当店の『人生体験機』に入っていただき、その中で自分とは全く違う人間の幸せな人生を体験していただきます」
「……?」
説明を聞いても全く想像がつかない。
つまりどういうことなんだ?
「実際に見てもらった方が早いかもしれないですね。こちらへどうぞ」
女性がフロアの奥にある扉を開いた。
その先には、人が一人入れるくらいの大きさのカプセルのような形をした機械が鎮座していた。
「こちらが『人生体験機』です。この中では設定された人間の人生をまるで現実のように体験していただくことができます」
俺は機械の方をまじまじと見つめた。
中には椅子と頭に被れそうなヘルメットのようなものがついている。
いわゆるVRゲームというやつだろうか。
仮想現実の世界で他人になりきって遊ぶ、と?
「さ、それでは中へどうぞ。そこの椅子に座ってヘッドギアをつけてください」
「え……は、はい……」
女性に促されるまま、俺はカプセルの中に入った。
まだ何が始まるのかいまいちよくわかっていないが、なんだかSFの世界に来てしまったようで少しワクワクする。
「体験する人生に何か希望はありますか?」
「え? えっと、特にないです」
「わかりました。それでは当店のオススメのモノで始めましょう」
希望も何もそもそも何をするのかもよくわかっていないので正直に答えると、女性はカプセルの隣にある機械に何かを入力し始めた。
その間に俺はヘッドギアをつけて椅子に深く腰をかけた。
椅子はリクライニングチェアのような感覚ですごく座り心地がいい。
「それでは始めます。準備の方はよろしいでしょうか?」
「は、はい……」
少し緊張しながら返事をすると、女性はにっこり微笑みながらカプセルの蓋を閉じた。
「それでは、良い人生を」
その瞬間、ゴウンゴウンと機械の駆動音のようなものが鳴り響き、同時に俺の視界が光に包まれて真っ白になった。
「うっ……!?」
俺はあまりの眩しさに目を閉じた。
数秒経ち、光が収まってきたことに気づいて少しずつ目を開くと、俺の目の前には学校の教室のような光景が広がっていた。
誰もいない、夕焼けに染まった放課後の教室。
突如として広がったそのリアルな光景に思わず素直な感想がこぼれた。
「うわ、すごい……」
そのとき、俺は自分の口から出た声に違和感を覚えた。
「ん? なんだろう……声が……なんか、変……」
明らかに普段と違う高い声が自分の喉から発せられていた。
俺は手で自分の喉を触ろうとして、そこで更に違和感に襲われた。
「な、なにこれ!?」
いつの間にか俺は学校の制服のようなものを身につけていた。
しかも、それは男子ではなく女子用の制服だ。
紺色の襟と赤いリボンのついた半袖の白いセーラー服、そして紺色のスカートが俺の身体を包んでいる。
だが、驚くべきところはそこではない。
裾の先にある俺の手足が、細く華奢なものに変わっているのだ。
仮にも成人男性であるはずの俺の手は一回り小さくなり、力強さをまるで感じない弱々しいものになっている。
スカートから覗ける足も、ボーボーだった脛毛がほとんどなくなっている上に筋肉も失われていて、すべすべの柔らかそうなものになってしまっていた。
これではまるで、本当に女の子にでもなってしまったような……。
「わたし、なんでこんな…………あれ?」
俺は今なんて言った?
自分のことをわたしと言わなかったか?
「わたしは……あれ? なんで……わたし、自分をわたしって……あれ、わたし……」
何を喋ろうとしても、勝手に口調が変わってしまう。
わけもわからず戸惑っていると、頭の中に知らないはずの知識が浮かび上がってきた。
この身体の名前は矢木香澄。
16歳の女子高生。
日直の仕事や委員会の仕事など色々しているうちにこんな時間になってしまったので、そろそろ帰ろうとしていたところだ。
「すごい……わたしのことが、わかる……」
どうやら俺はここでは本当に女子高生になってしまっているようだ。
なるほど、他の人間の人生を体験するとはこういうことか。
目に映る景色、手足の感覚、女子高生として記憶、全てがまるで現実であるかのようなリアルさで、俺は驚くばかりだった。
どういう原理でこうなっているのかはまるでわからないが、最先端のゲームの技術というのは随分すごいことになっているのだと無理やり自分を納得させた。
「せっかくだし、わたしとしての生活を満喫させてもらっちゃおうかな」
とりあえず俺は自分の家に帰宅するために教室を出た。
途中で部活中のクラスメイトたちとすれ違うと、彼女たちは俺に声をかけてきた。
「あれ、香澄帰るところ?」
「う、うん。部活がんばってね」
俺が返事をするとこっちに向かって手を振ってくる。
女子高生が当たり前のように俺を友達として扱ってくることに、不思議な幸福感を覚えた。
こんなやり取りを他人とするのはいったい何年ぶりだろうか。
元々友人はあまり多くなかったし、働き始めてからは会うことも減っていたのでなんだか感動してしまう。
これは確かに、幸せな人生の体験という言葉に偽りはない。
機嫌を良くしながら歩いていると、下駄箱を出たところで誰かとぶつかってしまった。
「わっ!? ごめんなさいっ」
「おっと、こっちこそごめん……って、香澄ちゃん?」
名前を呼ばれ顔を上げると、ジャージを着た男子生徒がこちらの顔を覗き込んでいた。
この人は……。
「り、竜崎先輩!? ご、ごめんなさい!」
矢木香澄の記憶によると、この人はサッカー部の竜崎先輩だ。
同じ中学の出身で一応顔見知りの関係にある、密かに香澄が憧れを抱いている先輩だ。
「いや、気にしなくていいよ。そっちこそ大丈夫? 怪我とかない?」
「は、はい……大丈夫です……」
俺は先輩から目を逸らしながら返事をした。
何故だかこの先輩の顔を見ていると顔が赤くなってしまう。
まさか、香澄に影響されて俺までこの先輩に恋心を抱いてしまっているのか?
おいおい、俺は元は普通の男だぞ。
こんな、年下のサッカー部のイケメンなんかに恋心なんて……。
しかし、俺の身体は勝手に心臓がドキドキし始め、緊張からか汗で全身がびっしょりになってしまう。
「香澄ちゃん、すごい汗だけど大丈夫? 今日は夏みたいに暑いし、水分不足になると危ないよ。ほら、これあげるから飲んで」
先輩はそう言いながら俺にスポーツドリンクのペットボトルを手渡してきた。
「え、そんな、悪いですよ!」
「いいよいいよ、後でもう一本買うから。じゃあ、俺はもう行くけど、熱中症には気をつけなよ!」
先輩はそう言い残すと走り去っていった。
ポツンとその場に取り残されてしまった俺は、とりあえず渡されたスポーツドリンクを飲もうとキャップに手を伸ばした。
「あれ? これ……」
よく見ると、キャップはすでに開いた形跡があった。
これ……もしかして、飲みかけか?
後輩の女の子に飲みかけのスポーツドリンクを渡してくるのってどうなんだ、そもそも俺は他人の飲みかけのペットボトルになんて口をつけたくない、と普段の俺なら言うだろう。
しかし、今の俺の頭によぎるのは全く別の考えだった。
「これ、口つけたら……先輩と、間接キス……」
想像しただけで火照ったように顔が熱くなっていく。
俺は緊張しながらペットボトルのキャップを外し、そっと口をつけた。
「ん……んくっ……んっ……」
一口飲む度にくらくらしてしまうほどの陶酔感で胸がいっぱいになった。
先輩の飲みかけのスポーツドリンクが身体に流れ込んでいるという事実につい気分が浮き足立ってしまう。
「ぷはぁ……はぁ……ん……」
俺は思わず自分の身体を抱きしめた。
これ、やばい……。
愛しさと切なさが混ざりあって自分の中にある気持ちが抑えられなくなってしまう。
お腹の下にある何かがキュンキュンと疼いている。
すでに頭は湯立ってしまうほどに熱を帯びていてまともに働きそうにない。
俺はボーッとした頭で何も考えられない状態のまま家へと帰った。
夢見心地で歩いているうちに、いつの間にか家にたどり着いていた。
俺は自分の部屋に入ると身体を火照らせたままベッドに倒れ込んだ。
「はぁ……はあ……っ、ん……」
自然と息が乱れてしまう。
お腹の下、女の子の大事な部分が、熱くて切ない。
俺はスカートを捲り、下着の上から自分の股間を撫でた。
「んっ、んん……あっ、はぁっ……」
ベッドの上に丸まりながら、俺は自分の股間を弄る。
本来男であれば男根が生えているはずのそこに、今の俺には何も生えていない。
俺の知らない、女としてのモノがそこにある。
しかしそこから得られる快感を、俺の記憶は既に知っていた。
「あっ、あっ……竜崎、先輩……んっ……」
口から漏れるのは恋しいあの人の名前。
想えば想うほどに身体の疼きは増していき、股の奥から響く快感に酔いしれそうになる。
ふと、部屋に置いてある鏡が目に入った。
うずくまったまま頬を紅潮させ、目には涙を浮かべて蕩けた表情をしている少女。
あれが、自分?
違和感もあるけれど、同時にあれこそが自分の姿だという気持ちもあって、なんだか自分が不確かになっていく。
「んんっ、あっ、んっ、ああっ!」
気づけば下着の中に指を滑らせて直接秘所に触れていた。
昂り続ける快感の渦を抑えきれず、枕に自分の顔を埋める。
「んっ、せんぱいっ、あっ、せんぱい……んんっ!」
呻くように呟きながら指を動かし続けると、ついに身体は限界を迎えようとしていた。
ああ、先輩、先輩っ!
わたし、好きですっ、先輩っ!
「んっ、くっ……せんぱ、あっ、んんくぅ……!!」
わたしは声を抑えるために枕に顔を突っ伏した。
絶頂を迎えたわたしの身体がビクビクッと震えて強張る。
わたしは手を挟んだまま股を閉じて身体を丸まらせた。
「くぅっ……ん……はあっ……」
枕にぎゅーっと顔を押し付けたまま快感の余韻に浸る。
そうしていると少しずつ身体から力が抜けていき、脱力感がわたしの身体を包んだ。
「はぁ……はぁ……ふぅ……」
ようやく落ち着いたわたしはごろんと仰向けになった。
身体の昂りが収まって少しスッキリしたけれど、何故だか頭にもやがかかったように感じる。
わたし、なにか忘れてるような……。
けれどそれを思い出す前にわたしは微睡に包まれそのまま眠ってしまった。
────────
目を覚ますと、わたしはいつの間にか知らない場所で椅子に座っていた。
「こ、ここはどこ? え? な、なにこの声……」
自分の喉から出た声にわたしは驚いた。
まるで男の人みたいな低い声……。
「おはようございます、お客様。いかがでしたか?」
すると、前から女の人の声が聞こえてきた。
顔を上げてみると、そこにはこちらを覗き込む、燕尾服を着た女の人が立っていた。
あれ、この人……知ってるような……。
「今体験していただいたのは『恋する乙女』の人生です。甘く切ない心地が楽しめると色々な方から広く人気な人生なんですよ」
女の人の言葉で思い出す。
そうだ、わたしは……いや、俺は女子高生でなく、ここに客としてやってきたサラリーマンだ。
ついさっきまで矢木香澄としての意識に飲まれて自分のことを女子高生だと錯覚していたようだ。
そんな風になってしまうほどに、この人生体験機での体験は非常に生々しいものだった。
「す、すごかったです……なんか、俺、本当に自分が女子高生になったみたいでした……」
「ふふっ、お楽しみいただけたならなによりです」
笑いかけてくる女性から俺は思わず目を逸らしてしまった。
さっき体験した女子高生としての記憶は改めて思い返すと少し気恥ずかしいものがある。
男のはずの俺が、憧れの先輩を思い浮かべながら女の子の身体でオナニーするなんて……。
だがその一方で、最初に言われていたように幸福感を得られたのは間違いなかった。
ああして他人の心のままに振る舞うのは病みつきになってしまいそうな不思議な魔力がある。
「これ、他の人生も体験できるんですか?」
俺が尋ねると、女性は申し訳なさそうな顔をしながら頭を下げてきた。
「申し訳ありません。もちろん他の人生も体験していただけるのですが、当店のルールで一度のご来店につき体験していただけるのは一度までとなっていますので、また次のご来店時にお願いします」
「そ、そうですか……」
少し残念だが、そういうルールがあるなら仕方ない。
明日も仕事があるが、終わった後にまたここに来よう。
ストレスの溜まる毎日でも楽しみがあれば少しは我慢もできるというものだ。
俺は疲れた生活の中に癒しを見つけられたことで久し振りに心に潤いを感じていた。
────────
翌日。
俺は再びHappy Lifeにやってきた。
受付には昨日と同じ、燕尾服を着た長い髪の女性がおり、俺にお辞儀をしてきた。
「いらっしゃいませ、お待ちおりました」
「あ、どうも……」
昨日の今日で来てしまい少し引かれるかとも思ったが、女性はただ優しい笑みを浮かべるだけだった。
「では、こちらへどうぞ」
「は、はい……」
淡々と案内をする女性に連れられ、俺はまた人生体験機の前までやってきた。
大きなカプセルのような形のこの機械は何度見ても未来の施設のように感じられて好奇心をそそられる。
俺は女性に促されるままカプセルの中に入り椅子に腰をかけた。
「本日はどういった人生を希望ですか?」
「えっと、そうですね……」
昨日帰ってから少し考えていたが、やはり今の自分とは全然違う人生体験してみたい。
そうなると、やはり昨日のように女子高生がいいだろう。
性格も俺とは違う方が面白そうだ。
「明るい性格の女子高生……とかってありますかね?」
「はい、もちろん。少しお待ちください」
女性が機械を操作し始めたので、その間に俺はヘッドギアを被った。
期待に胸を膨らませながらソワソワとしていると、やがて準備が整ったのか女性が声をかけてきた。
「それでは始めます。準備はよろしいでしょうか?」
「はい、お願いします」
俺が返事をすると、女性はにっこり微笑みながらカプセルの蓋を閉じた。
「それでは、良い人生を」
すると、ゴウンゴウンという機械の駆動音が鳴り始め、俺の視界が光に包まれた。
目の前が真っ白になった状態のまま数秒待つと、徐々に光が収まってきた。
瞬きをしながら周りを見回してみると、どうやら昨日と同じように学校の教室にいるようだった。
昨日と違うのはまだ昼間でクラスメイトたちが席に座っているという点だ。
これは、ひょっとして授業中か?
「おい、市川! お前ボケーっとして、ちゃんと聞いてるのか!?」
突然名前を呼ばれ、驚きながら前を見ると怒った様子の先生がこちらを見ていた。
咄嗟にやばいと思った俺は謝罪の言葉を口にした。
「はーい、すんませーん」
しかし、俺の口から出たのは明らかに反省の色が見えないふざけた謝罪だった。
さっきまであった謝らなきゃという気持ちもいつの間にか消え失せており、ついへらへらとしてしまう。
「まったく、そんなんじゃお前次のテストでまた赤点取るぞ」
先生は不機嫌そうな顔をしながらも黒板に板書をする作業に戻った。
すると、隣に座っている女子が俺のことをつついてきた。
「やーい、怒られてやんの」
ニヤニヤと笑いながら軽口を叩いてくる。
何か返事をしなければと思い口を開くと、勝手に言葉が出てきた。
「うるせー。そっちだって全然集中してないじゃん」
「あはは、たしかに」
隣の女子はそれだけ言うと、ノートに黒板の字を写し始めた。
ようやく一呼吸ついた俺は自分の頭に手を当て、今のこの身体の記憶を思い出した。
この身体の名前は市川優香。
17歳の女子高生。
都内の偏差値の低い女子校に通っている。
頭があまりよくないため、学校の成績は悪い。
普段の素行もあまりよくないが、友達からは面白いやつとして親しまれている。
隣の女子はよくつるんでいる友達の黒崎真由。
「ふーん、なるほど……あたし、頭悪いギャルなんだ」
俺は誰にも聞こえないように小さな声で呟いた。
俺がギャルになるというのはなかなか面白い。
どちらかと言うと小市民的な性格の学生だった元の俺とは正反対の身体だ。
その証拠に、授業中は先生の話をちゃんと聞いた方がいいと思ってしまう俺の内心とは裏腹に全く話を聞く気が起きない。
何にも縛られない解放感のようなものが常に心のうちにあって、なんだか気分がいい。
「つっても、授業がつまんないのはどうしようもないんだよねー……」
話を聞かないとなると、暇でしょうがないのが授業というものだ。
何をしようか考えながら、俺は化粧ポーチから鏡を取り出し自分の顔を見た。
あんまり濃い化粧をすると先生に怒られるため軽くする程度であるが、今の俺の顔にはしっかりと化粧が施されている。
目元を強調するアイシャドウ、頬を彩るチーク、艶やかな口元を際立たせるリップ。
髪の色も赤いメッシュの入った茶髪と、かなり遊んでる女子という雰囲気が出ている。
このギャルのような女の子が、今の俺なんだ。
そう考えると、勝手に心臓がドキドキとし始めた。
やばい、なんかムラムラしてきた……。
俺は左手に持っていたシャーペンでスカートの上から自分の股間をなぞった。
「ッ……! ふっ……」
周りに聞こえないように息を殺しながら、俺は快感に震えた。
やばい、授業中にオナニーしちゃってる……!
きっと普段の俺ならこんな大胆なことはできないだろう。
しかし、市川優香という少女にはこんなことすらしてしまうほどの奔放さがあった。
「……っ……ぁ……ッ……!」
ぐりぐりとシャーペンを押し付ける力を少しずつ強くする。
するとどんどん身体に沸き起こる快感が強まっていき、昂った気持ちが抑えられなくなりそうだった。
俺は声を抑えるために机の上に突っ伏して右腕で口を抑えた。
そうしている間に、左手をスカートの中に潜り込ませ、下着の上からシャーペンを押しつけ始める。
「んっ! ……ふぅ、ふぅ……ぁっ、んっ……」
下手したら周りに聞こえてしまうかもしれない。
そんなリスクのあるギリギリの状況が、俺の背徳感をくすぐり快感をさらに増幅させる。
やばい、これマジで気持ちいい。
このままイッちゃいそうだわ……。
気持ちよさに身を任せているうちに頭の中がだんだんとボーッとしてくる。
やば、もうなにも考えられない……。
「んっ、ぁぁッ、ッ、んくッ……!!!」
あたしは静かに身体を震わせて、イッた。
顔を腕の中に埋めて、必死に快感を抑え込んだ。
やがて快感の波が引いていくと、じんわりとした心地いい余韻が身体に広がっていき、あたしの身体は程よく脱力していった。
ああ、やば……マジで気持ちいい……。
次第にうとうとし始めたあたしはそのまま寝ようとしたけれど、そこでチャイムの音が鳴り響いた。
「今日の授業はここまでだ。さっき言った課題は来週までにやっておけよ」
目を擦りながら顔を上げると、数学の授業をしていた先生の浦部が教室から出ていくところだった。
どうやらオナニーに夢中になっている間に授業が終わってしまったらしい。
あたしはあくびをしながら身体を起こした。
なんだか頭にモヤがかかったようにボーッとする。
眠いからだろうか?
すると、いきなり隣から脇をつつかれた。
「優香、アンタさあ……」
隣を見ると、呆れた顔をした真由がこちらを見ていた。
「さっきオナニーしてたでしょ?」
「あ、バレてた?」
真由の言葉にあたしは返事をしながら舌を出した。
「いや、隣から見たらバレバレだから。よく授業中にあんなことできるっていうか……浦部にバレるんじゃないかってウチの方がヒヤヒヤしたわ」
「いやー、なんかムラムラしてたんだよね。あはは」
「いや、あははじゃないわ。……ぷっ、あははっ! いや、アンタホントおもしろいわ」
あたしと真由はなぜか二人で爆笑していた。
真由はこういうときに変に引いたりしないしノリが合うので一緒にいて楽しい。
すると、あたしたちの方にもう一人女子が近寄ってきた。
「なに? なんの話してるの?」
小柄で天然ぽい雰囲気のこの子は川田萌。
あたしたち二人とよくつるんでいる友達だ。
「授業中に優香がオナニーしてたって話」
「ちょっとー、言うなってばー」
「え!? 優香ちゃんオナってたの!? ウケるー!」
萌が手を叩いて笑い始めた。
萌はその朗らかな雰囲気のおかげで、こんなふうに笑っているのを見るだけであたしも笑ってしまいそうになる。
二人ともあたしの大事な友達だ。
そのまま三人で雑談をしていると、担任が入ってきてホームルームが始まった。
今日はもう授業がないので、あとは帰るだけ。
連絡事項だけを伝えて担任が教室から出ていくと、カバンを持った真由と萌があたしの方に近寄ってきた。
「優香ー、帰ろうぜー」
「おっけー。帰りどっか寄る?」
「あ、わたしゲーセン行きたーい!」
萌の希望で、あたしたちは駅前のゲーセンに行くことにした。
三人で連れ立って歩きながら駅前まで向かう。
「つーかさあ、浦部マジでウザくない? どうせ授業なんて元々誰も聞いてないじゃん」
「あはは、言えてる。それより、なんかお腹空かない? 後でどっか寄ってなんか食べようよ」
「いいねー。あ、やば、わたしのスマホ充電切れそう」
各々が好き勝手に喋る中身のない会話が、何故だか今日はとても楽しく感じる。
いつもとなにも変わらないのに、なんだか不思議な気分だ。
「あ、ほら! あのクレーンゲーム見て! メンガーのおっきなぬいぐるみ! あれ欲しいの!」
「ならほど、これが目当てだったと。萌も好きだねー、こういうぬいぐるみ」
「よっしゃー、あたしに任せなさい」
あたしたちは三人で協力してクレーンゲームに挑んだ。
取れそうで取れなかったりと、一喜一憂を繰り返したけれどこういうのもなんだかんだ楽しいものだ。
「やったー! とれたー! ありがとー!」
「1200円か。結構簡単に取れたね」
「せっかくだし記念にプリ撮ろうよ」
ゲーセンで遊ぶならやはりプリクラは撮っておかないと。
ぬいぐるみを抱える萌を真ん中にして両脇にあたしと真由が入る。
みんなで揃いのポーズをしたり、変顔をしたり、とても盛り上がった。
今日ここで撮ったプリクラは後で見返したときにきっと楽しい思い出をあたしに思い出させてくれるだろう。
「ねえ、このままカラオケ行こーよ! わたし、なんか歌いたい気分!」
「いいじゃん。お腹空いたし色々フードメニュー頼んじゃおっかな。あ、あれやる? ロシアンたこ焼きみたいなやつ」
「えー、やだよ。あたしああいうのやるとしすぐハズレ引くからぜったいやんない」
そのままあたしたちは三人でカラオケに直行した。
真由がフードメニューを見ている間、萌はマイクを握りしめて熱唱していた。
「〜〜♪」
「えーっと、ポテトとピザと……あとパフェも頼んじゃお」
「食いすぎでしょ、ウケる」
真由の方にツッコミを入れながら、あたしは座席にもたれかかった。
なんだか疲れたのか眠くなってしまった。
あたしはぼんやりとした頭で今日一日のことを思い返す。
友達とくだらないことをダベって、放課後もこうやって一緒に遊んで、馬鹿みたいに笑い合って。
いつもと変わらない一日だったけど、なんだかすっごく楽しかったな。
自然と頬が緩んでいくのを感じながら、あたしはゆっくりと目を閉じた。
────────
「ん……あれ、あたしなにしてたんだっけ……」
目を覚ますと、あたしは見知らぬ場所にいた。
さっきまで真由たちとカラオケにいたはずじゃ……。
「おはようございます、お客様。いかがでしたか?」
すると、いきなり声をかけられ、あたしは驚きながら前を見た。
そこには執事のような格好のお姉さんが立っていて、こちらを覗き込んでいた。
あれ、この人どこかで見たような……。
「今体験していただいたのは『陽気な不良少女』の人生です。解放感溢れるやんちゃなその生き方は今まで堅実に生きてきたような方たちからとても好評なんですよ」
そこまで言われてあたしはハッとなった。
あたし……いや、俺は明るいギャルなんかではなく、地味でつまらないサラリーマンだった。
昨日もそうだったが、この自分のことを思い出す瞬間は幸福感に満ちた意識からの落差が激しくて少し堪えるものがある。
「お楽しみいただけたでしょうか?」
「はい、もちろん。……ただ……」
これが終わってしまったら、また辛い日常が待っている。
体験した人生が輝かしいものであればあるほど、今の自分のことが惨めに思えてならない。
俺はまた明日もここに来ることを誓いながら立ち上がった。
俺を見つめる女性の、何かを含んだような笑みには全く気づかずに……。
────────
「はぁ……はぁ……」
俺はふらふらとしたおぼつかない足取りのままHappy Lifeを目指していた。
上司から振られた急な仕事で残業をさせられ、帰る頃には時刻はすっかり深夜になっていた。
いきなり押し付けてきたくせに今週中に処理を終わらせろだなんて、毎日今日ぐらいまで残業しなければとても間に合わない。
こんなことをずっと続けたらそのうち倒れてしまいそうだ。
本当なら今日はすぐにでも家に帰って休むべきだろう。
だが、俺はHappy Lifeに行かなければいけない。
あそこに行かないと、体より先に俺の心が死んでしまう。
なんとしてもあそこに行って、癒されないと……。
俺は疲弊しきった顔のまま深夜の繁華街を歩き続けた。
もしかしたらもう閉まっているかもしれない。
こんな時間なのだから入れてもらえない可能性の方が高いだろう。
それでも俺は一縷の望みをかけてあの重々しい扉の前までやってきた。
扉を開けると、中ではいつものように燕尾服の女性がお辞儀をして俺を出迎えた。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」
「あぁ、ああっ……」
やった、入れた……。
喜びのあまり涙が出てきそうだった。
「では、こちらへどうぞ」
「は、はいっ」
女性はいつものように俺を人生体験機の前まで案内する。
俺は女性に促されるより先にカプセルの中の椅子に座り、ヘッドギアを被った。
「本日はどのような人生をご希望ですか?」
「な、なんでもいいですから、とにかく幸せなものを……!」
「かしこまりました。少しお待ちください」
俺はとにかく一秒でも早く幸せな人生を体験したかった。
今の辛い現実を忘れられる幸せな時間をただ求めていた。
「それでは始めます。準備はよろしいですか?」
「はい、お願いしますっ!」
俺が食い気味に返事をすると、女性はにっこり微笑みながらカプセルの蓋を閉じた。
「では、良い人生を」
いつものようにゴウンゴウンという機械の駆動音が鳴り響き、俺の視界が光に包まれた。
そのまま数秒待つと徐々に光が収まっていき、辺りを見渡せるようになった。
「ここは……」
夕日の差し込む部屋に俺は一人佇んでいた。
昨日までのような学校ではなく、どうやら家の中にいるようだった。
周りには誰もおらず、この家の中には俺しかいない。
しかし、一人暮らしにしては少し広いようにも感じる。
とりあえず俺は自分が誰になっているのか記憶を覗いて確かめた。
この身体の名前は平山紗代子。
26歳の主婦。
今年結婚したばかりの新婚夫婦の奥さんだ。
夫は大企業に勤める会社員で、若くして管理職に就いているエリートだ。
元は夫と同じ会社に勤めていたが結婚を機に退職し、今は専業主婦をしている。
「あ、そうだ、早くお夕飯の準備をしないと……」
俺はすぐに料理の準備を始めた。
結婚する前までは仕事を続けることも考えていたが、夫から家事に専念してもらいたいという言葉を受けて、専業主婦になることを選んだ。
元々仕事へのこだわりはなかった上に夫の年収的に家計への問題はなさそうだったため、喜んで今の生活を送っている。
「ふふっ……私が専業主婦かぁ……」
仕事に疲れていた俺が、夫を支えることだけを考えて家事に勤しむとは。
想像もしていなかったことだが、これはこれで幸せな在り方なのかもしれない。
そんなことを考えている間にも、俺の手はどんどん料理を進めていく。
普段料理なんて全くしないのにこうして簡単に進められるのはなんとも不思議な感覚がする。
そのまましばらく料理を続けていると、もうすぐ完成というところで玄関の扉が開く音がした。
「あ、帰ってきた!」
俺はパタパタとスリッパの音をたてながら玄関の方に向かった。
俺がやって来たのを見て、その人はこちらに声をかけてきた。
「ただいま、紗代子」
夫である、平山治だ。
「おかえりなさい、治さん」
俺の声を聞いて、治はにこやかな笑みを返してきた。
その顔を見ていると胸の奥が温かい気持ちでいっぱいになってくる。
「ちょっと待ってね、もうすぐご飯できるから」
「ああ、頼むよ。もうお腹ペコペコでさ」
俺は台所に戻り調理の支度を再開する。
作った料理を皿に盛り付けてテーブルに並べていると、治がやってきた。
「おお、美味しそうだな」
「ふふっ、ありがとう」
今日の夕飯は麻婆豆腐と春雨のサラダ、もやしのナムル、卵の中華スープだ。
麻婆豆腐は治の好物なので多分喜んでもらえるだろう。
「いただきます……うん! 美味い! さすが紗代子だ」
「そう言ってもらえると嬉しいな。ふふっ……」
治はどんどん料理を口に運んでいく。
こんなに喜んでもらえるなんて、張り切って作った甲斐があるというものだ。
その後は雑談をしながら食事を進めていたけれど、よほど空腹だったのか治はあっという間に料理を完食してしまった。
「ふぅ、ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした。お風呂は沸いてるけど、もう入る?」
「ああ、そうさせてもらうよ」
治が風呂に入ってる間に俺は皿洗いを始めた。
作った料理をあんなに喜んで食べてもらえて、皿洗い中俺の頬はずっと緩みっぱなしだった。
そして、治が風呂から上がった後に俺も風呂に入り、二人でテレビを見たりして過ごしているうちに夜が更けてきた。
俺と治は二人で寝室にやってきて、ベットの上に腰をかける。
「紗代子……」
「治さん……」
俺たちは二人で見つめ合い、どちらともなく唇を合わせた。
相手を求め合うように舌を絡めていく。
痺れるような快感が舌から身体全体に伝わっていく。
愛しい人とのキスがこんなに気持ちのいいものだなんて知らなかった。
「んっ、ちゅ……んむっ、れろ……」
俺がキスに夢中になっているうちに、治は俺の服を脱がしていき、胸を触り始める。
大きくて逞しい手が、俺の胸を優しく、けれども力強く揉んでくる。
そうされているだけで俺の昂りは増していき、お腹の奥にある子宮がキュンっと疼いてくる。
ああ、俺、ここに欲しくなってる……。
「ん、ぷは……治さん、私、もう……」
頬を赤く染めながら俺は治に懇願する。
治は息を飲むようにしながら頷くと、服を脱いで股間に反り勃つ男根を露わにした。
もう準備万端とばかりに、男根は太く逞しく上を向いていた。
「紗代子……今日はゴムをつけずにしたい……いいか?」
「っ! ……うん!」
生でセックスをするということの意味。
それはつまり、二人の子供を作るということで。
それを理解したとき、俺の子宮は一際強く疼いた。
「じゃあ、挿れるぞ……」
「治さん、来て……」
ベッドの上に座って股を開き、治を誘う。
俺に覆い被さってきた治が股に男根を深く挿れてきた瞬間、俺の身体は大きく震えた。
「んっ、あっ、ああッ! 治さんのが、入って……」
温かい一本の棒が、身体の中に深く沈んでいく。
治と繋がった部分を起点に、全身へと一気に快楽が広がり始めた。
俺の脳みそは激しい電流に焼かれて沸騰してしまったかのよう熱くなっていく。
ああ、すごいっ、これ……。
我を忘れて快感によがる。
甘く蕩けるような幸福感が胸を占めて、勝手に涙がこぼれてしまう。
ああ、幸せ、幸せっ!
私、治さんと繋がれて、子供を作れて、すごく幸せっ!
「紗代子っ!」
「んッ!?」
治さんが私の唇に吸い付いてくる。
そのまま腰を動かしながら治さんは私の舌を絡め取ってくる。
私は痺れるような快感に何も考えられなくなってただ治さんの口に吸い付いた。
「んっちゅっ、はむ……んっ、ぷはっ、治さんっ! あっ、んっ、もっと、もっと……!」
「紗代子っ……紗代子っ……!」
治さんが私の名前を呼びながら必死に腰を振っている。
その声を聞くたびに私の胸はいっぱいになり、快感が大きく増幅されていく。
「紗代子っ……そろそろ、射精そうだ……!」
「んっ、あっ! いいよっ、きてっ、だしてぇっ! あっ、私のなかにっ! ほしいっ! おさむさんの、んっ、こども、ほしいのっ!」
治さんがラストスパートとばかりに腰を激しく動かす。
私の身体も限界に達しようとしていて、私はシーツを握り締めながら快感に耐えていた。
ああ、ダメっ……私、もうっ……!
「紗代子っ、うっ、くうッ……!!!」
「ああッ、おさむさんっ、おさむさ……ッ、んっあッ、あああぁあぁッ!!!」
果てる瞬間、私は治さんの身体にしがみついた。
治さんも私のことをその逞しい両腕で抱きしめてきて、二人の肌がぎゅっと密着する。
二人で身体をビクビクと震わせながら抱き合っていると、強い快感の渦がいつまでも身体に留まり続け、呼吸が全然整わない。
「んっ、あっ、ふうっ……んあっ、んんっ……」
快感が収まっていってもじんわりとした余韻が身体に残り、心地いい脱力感が私を包んだ。
やがて力の抜けた私が離すと、治さんは私の股から性器を抜いた。
すると、私の股の間からは白い精液がこぼれた。
私、膣内にちゃんと治さんの精子を出してもらえたんだ。
それを確認するとまた私の中に幸福感が湧いてきて、じんわりとした心地いい快感が広がっていく。
「紗代子……」
「治さん……」
治さんが私の頭を撫でてくる。
そうされているととても気持ちがよくて、なんだか眠くなってきてしまった。
治さんの優しい微笑みを見つめながら、私は微睡に飲まれてそっと意識を手放した。
────────
私が目を覚ますと、何故だか見覚えのない場所に座り込んでいた。
「んっ……あれ、治さん……? ここは……どこ……?」
さっきまでベッドに寝ていたはずなのになんでこんなところに……。
すると、急に私の前に一人の女性が現れ声をかけてきた。
「おはようございます、お客様。いかがでしたか?」
女性はこちらを覗き込みながら私の様子を伺っている。
私、この人を知ってる……?
「今体験していただいたのは『健気な新妻』の人生です。愛する人に尽くしたいと思う人生は独り身の方たちにとても好評なんですよ」
女性の言葉を聞いて私は思い出した。
私は……いや、俺は愛する夫と暮らしている新妻でなく、孤独な寂しいサラリーマンだ。
そのことに気づいた瞬間、俺は深い絶望に囚われた。
「お客様……? どうされました?」
項垂れたまま黙っている俺を見て、女性が心配そうに声をかけてくる。
俺は顔を上げることができなかった。
気づくと涙が込み上げていた。
「どうして……」
「はい?」
「どうして……俺は俺なんですか……?」
俺は女性に尋ねずにはいられなかった。
先ほどまでの幸せな人生とは程遠い苦しい人生。
さっきまでのは幻の人生で、こちらが俺の本当の人生なんてあんまりだ。
「結局この苦しい人生を生きなきゃいけないなら、あんな幸せな人生知らなきゃよかった……」
「…………」
俺の独白を女性は黙って聞いていた。
どう思われただろうか。
ただの病んだ客の戯言と受け止めているのだろうか。
すらと、女性はゆっくりと口を開いた。
「……幸せな人生を、自分の本当の人生にしたいですか?」
「え……?」
女性の言葉に俺は気の抜けた返事をしてしまった。
「それって、どういう……?」
「先ほどまでの幸せな人生を、貴方の本当の人生にできるとしたら、どうしますか?」
俺は目が点になった。
幸せな人生を、俺の本当の人生にできる!?
そんなの、どうするもこうするも……!
「できるなら、するに決まってるじゃないですか!」
「でも、そうする場合貴方の今の人生を捨てていただくことになります。それでもいいですか?」
「そんなの構いません! こんな苦しい人生、捨てても何も後悔はありません!」
もし幸せになれるなら、何を犠牲にしても構わない。
そう思った俺は強気に女性に答えた。
「……わかりました。それなら契約成立です」
そう言ったとき、女性の口は愉悦の笑みに歪んでいた。
────────
「ん……あれ? 私、寝ちゃってた……?」
目を覚ますと、私は椅子に座ったままテーブルに突っ伏していた。
そういえば、夕飯の買い物を終えて帰ってきたところでついウトウトして寝てしまったのだった。
「いけない、早くお夕飯作らなきゃ……」
愛しのあの人が帰ってくる前にちゃんと支度をしておかないと。
今日は報告することもあるし……。
私は急いで夕飯の支度を始めた。
そして料理を完成させたちょうどいいタイミングで玄関の扉が開く音がした。
「来たっ……!」
私はパタパタと足音をたてて玄関に急ぐ。
私が顔を出すと、治さんは笑顔で手を振ってきた。
「ただいま、紗代子」
「おかえりなさい、治さん」
私は治さんの前まで歩いていく。
緊張からか、そのまま手を合わせて少しまごついてしまう。
私の様子がいつもと違うことに気づいたのか、治さんは声をかけてきた。
「紗代子……? どうかしたのか?」
「えっとね、その……」
私はポケットにしまっていたそれを取り出して、治さんに見せた。
「私……できたみたい……」
「え……それって……」
「うん……赤ちゃんが、ここに……」
治さんは陽性の反応を示している妊娠検査薬と私のお腹を見比べながら呆然としていた。
直後、急に顔が喜びに満ちたものに変わると、治さんは私に抱きついてきた。
「紗代子っ! やった! ついに俺たちの、子供がっ!」
「うん、私たちの子供っ!」
「そっか、頑張ったな、ありがとうなっ!」
治さんは本気で喜んでいた。
本当は少しだけ怖かったのだけど、治さんの反応を見たらそんな気持ちはどこかへ吹き飛んでしまい、私は嬉しさで胸がいっぱいになった。
「俺、紗代子のことも、お腹の子のことも、絶対に幸せにするからな!」
「うんっ、ありがとうっ、治さん!」
私は嬉しさから涙を流していた。
これから私たちの愛の結晶が産まれてくる。
その子のことを、きっと私たちは心から愛することになるだろう。
私は愛する夫と愛する我が子に囲まれる未来に想いを馳せた。
ああ、私はなんて幸せなんだろう……。
────────
「お疲れ様でーす」
外で客引きをしていたショートカットの女性が店の中に帰ってきた。
人生体験機が置いてあるフロアの一階下にある地下室。
そこで長髪の女性が一人佇んでいた。
「お疲れ様です。鍵は閉めてきましたか?」
「それはもちろん。あ、それですか? この前の疲れたサラリーマンの人は」
「ええ。今は健気で可愛らしい新妻になって幸せに暮らしていますよ」
二人が眺める先には円柱状のガラスケースが置かれていた。
その中にあるのはいっぱいに満ちた培養液と、何本もの管を繋がれた、人間の脳味噌。
「いやー、結構心配してたんですよ。あのお兄さん、なんだか病んでたみたいだったので。でもこうなっちゃえばもう安心ですね」
「ええ、彼はもう生涯幸せでいられることを約束されたうちのお客様の一人になりましたから」
長髪の女性が周りを見回す。
この部屋に置かれているガラスケースは一つではない。
辺り一面に脳味噌の入ったガラスケースがズラッと並んでいた。
「しかしよくできてますよね。他人の脳みそと繋げることで他人の人生を擬似的に体験させるなんて。おまけに高性能な演算機としての機能もあるから、本来なら苦しいはずの記憶も全部幸せな記憶に改竄して体験させられるし」
「ふふっ、そうですね。平山紗代子様も元は子育てに疲れてここに来られたお客様でしたけど、ここの施設の加わればたちまち幸せなだけの人生の持ち主になり、自分は望む人生を体験できる。言うことなしでしょう」
長髪の女性はガラスケースをそっと撫でた。
その顔はうっとりとした悦楽に満ちていた。
「私はまた一人お客様を幸せにできたのですね。ああ、人助けって素晴らしい……」
「本当ですね。ここの幸せそうな脳みそたちを見てたら、なんかわたしまで幸せになってきちゃいました……」
「ふふっ、人を幸せにしたら自分も幸せなのは当たり前ですよ。ああっ、なんてやり甲斐のある仕事なんでしょう……」
燕尾服に身を包んだ二人の女性は歓喜に震える。
もう二度と覚めることのない、幸せな人生という夢に囚われた脳味噌たちを眺めながら。