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氏裸

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【小説】集団物品交換事件

『次のニュースです。集団失神事件にまた新たな被害者が出ました。昨日19時頃、東京都港区在住の会社員の女性が意識を失って倒れているところを通行人に発見されました。これにより、被害者の数は38名となりました』


「これ結構近くじゃない? こわー……」


ご飯を食べながらテレビを見ていると、朝っぱらから不安を煽るニュースが流れていた。

最近巷を騒がせている集団失神事件だ。

ここ数週間、毎日のように道端で倒れている人が発見されるという怪事件が起きている。

発見された人はみんな数日後には意識を取り戻しているけれど何があったかは覚えていないようで、病院で診てもらっても体は健康そのものらしく完全に原因不明とのこと。

この事件の怖いところは、被害者がみんな若い女性であること。

そして被害者の発見される場所が、まるで誰かが移動しているかのように一本線で繋がっているところだ。

誰も明言していないけれど、悪意ある何者かによる犯行だと疑われている。


「湊、千佳、あなた達も気をつけなさいよ? ……って、何に気をつければいいのかわからないけど」


お母さんの言葉に私も共感してしまう。

私たちにできるのはせいぜい見知らぬ怪しい人に近づかないようにするぐらいだ。


「大袈裟だよ、お姉ちゃんもお母さんも。ニュースも毎日このことばっかりだし、ホント馬鹿みたい。陰謀論っていうんだよ、そういうの」


妹の千佳が不満そうな顔で言う。

どうやらこの事件のせいで文化祭が延期になってしまったのが気に入らないらしい。

学校からすればこんな騒ぎが起きてしまったら対応せざるを得ないだろうし妥当な判断だと思うけど。


「千佳は怖くないの? 近くでこんな事件が起きてて」

「別に。そんなことでせっかくの準備が台無しにされたことの方が最悪」


中学三年生の千佳としては受験前の最後の楽しみを邪魔されたのがよっぽど腹に据えかねているようだ。

まあ気持ちはわからないでもない。


「もう、いつまでもへそ曲げないの。こんなことになってるんだから諦めなさい。ほら、学校に遅刻するわよ、早く食べちゃいなさい」

「はーい……」


お母さんに言われて千佳は渋々頷いた。

結局のところ何が起きているのかもわからない私たちにできることは何もないし、ニュースの中の出来事が私たちにはどこか遠いもののように思えるのも確かだった。

なんだかんだで私たちがこの事件に巻き込まれるようなことはないだろう。

少なくともこのとき私はそう思っていた。




────────




その日の放課後。

うちの高校でも放課後の部活動などが一時的に制限されてしまったため、私は早々に帰路についていた。


「あれ? 千佳?」

「あ、お姉ちゃん」


駅から出たところでばったり制服姿の千佳と会った。

この駅は千佳の学校からは反対方向のはずだけど。


「こんなところで何してるの?」

「ん、暇だったから友達と遊んでた」

「あんたねえ……」


能天気な返答に思わず呆れてしまう。

これじゃあ何のために学校が放課後に残れないようにしているのかわからない。


「もう帰るところだよ。遅くなりすぎるとまたお母さんに怒られるし」

「ならいいけど。じゃ、一緒に帰ろう」


私は千佳と二人で連れ立って歩き始めた。

そういえばこうやって千佳と二人で歩くのは久しぶりな気がする。


「ところで千佳、入試も近くなってきたけど勉強の方はどうなの?」

「大丈夫だよ。この前の模試で第一志望A判定だったから」

「おぉ……流石」


千佳は私と違って勉強が得意なので受験の心配はあまりいらないようだ。

志望校も私の学校より偏差値が高いし、優秀な妹がいて姉として鼻が高い。

これは将来が楽しみだ。


「ねえ、おねえちゃんたち」

「え?」

「ん?」


突然背後から声をかけられて私たちは振り向く。

そこには、一人の小さい女の子が立っていた。

白い髪に赤い目という日本人離れした容姿をしている。

服も特徴的で、黒いドレスにヒラヒラとしたフリルがたくさんついた、いわゆるロリータ衣装をまとっている。

薄暗い夕暮れどきの人気のない住宅街の通りに立っているその姿は、なんだか場違い感が強くて少し不気味だ。


「えーっと、私たちに何か用かな?」


とは言え相手は小さな女の子。

あくまでも優しげな態度で屈みながら声をかけた。


「わたしね、いっしょにあそびたいの」

「え? 今ここで? 私たちと?」


私は千佳と顔を見合わせた。

いきなりこんなことを言われてもちょっと困ってしまう。

もう夕方で暗くなりそうだし、この子も早く家に帰ったほうがいいんじゃないだろうか。


「……ねえ、お姉ちゃん、もう帰ろうよ……?」

「う、うん……あの、ごめんね。私たち、もう帰らなきゃいけないから。えっと、あなたのお母さんは?」


私が問いかけると、少女は黙ったまま俯いてしまった。

断られていじけてしまったのだろうか。

仕方ないし、少し気は引けるけどこの子はここに置いていくしかない。


「ごめんね、私たちもう行くから。それじゃあ……」


立ち上がって女の子を背にし、私たちはその場を離れようとした。

そのとき。


「まって」


女の子が口を開く。

その声を聞いて、私たちは足を止めた。

いや、足が止まってしまった。

足だけじゃない。

まるで固まってしまったみたいに、体が動かなくなった。


「な、なにこれ……!?」

「う、動けない……!?」


千佳も私と同じ状態のようで、かなり動揺している。

すると、背後にいた女の子が私たちの前に回り込んできた。

女の子はにっこりと笑みを浮かべながら口を開く。


「おねえちゃんたち、わたしとあそんでくれないんでしょ? じゃあ、かってにおねえちゃんたちであそぶね」


私たちで、遊ぶ?

不穏な言葉の響きに心臓の鼓動が速くなる。

この子は、いったい何者なの?


「ねえっ! あんたなんなの!? これ、あんたの仕業!? あたしたちになにするつもり!?」


千佳が声を上げた。

落ち着きをなくしているようで、威圧するように女の子に怒鳴っている。

女の子は不満げな表情で千佳をにらみつけた。


「おねえちゃんうるさい。まずはおねえちゃんであそぼっと」


そう言うと、女の子は一歩千佳に近づいてきた。

そのまま女の子はおもむろに千佳の鞄の中を漁り始めた。


「ちょ、こら! なに勝手に……」


動くことができない千佳を無視して女の子は千佳の持ち物を物色し続ける。

やがて、女の子は千佳のペンケースの中から一本のシャーペンを取り出した。


「うーん、これでいいかな? ……おねえちゃん、おべんきょうがとくいなんでしょ? じゃあ、おねえちゃんをおべんきょうどうぐにしてあげる!」

「は? なに言って………………ッ!?」


そのとき、急に千佳の言葉が詰まった。

まるで首根っこを掴まれたように、目を見開いて口をパクパクとさせている。


「ふふっ、入れ替わっちゃえ!」


次の瞬間、千佳の口の中からオレンジ色の温かそうな光の玉が抜け出てきた。

同時に、女の子が手にしているシャーペンからも無機質な白い光の玉が抜け出てくる。


「千佳!? 大丈夫!? 千佳!」


口の中から光の玉が抜け出てしまった千佳は、虚ろな目をして立ち尽くしていた。

私が声をかけても無反応で、まるで抜け殻にでもなってしまったようだ。

そうしている間に仄かな灯りを伴った二つの光の玉は何かに引っ張られるように移動し始めた。

オレンジ色の光はシャーペンの中へと吸い込まれていき、白い光は千佳の口の中へと入っていく。

光の玉が馴染むように沈み込んでいくと、千佳は糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。


「千佳っ!」


千佳は力が抜けた状態で手足を投げ出すようにして倒れている。

どうやら意識を失ってしまっているらしい。


「失神……まさか……」


最近起きている連続失神事件。

もしかして、私たちは今まさにその被害者になろうとしている?


「つぎはおねえちゃんのばんだよ」


女の子が私の方に向き直る。

私は背筋に冷たいものが流れるを感じながら、恐る恐る尋ねた。


「あなた……千佳に何をしたの……?」

「べつにたいしたことしてないよ。ほら、げんきそうでしょ?」


そう言って女の子は私にシャーペンを見せてきた。

文房具屋で売っているような、ピンク色の普通のシャーペンだ。


「千佳のシャーペン……それがなんなの……?」

「いまはこれがあのおねえちゃんなんだよ」

「は……?」


女の子がわけのわからないことを言ってくる。

このシャーペンが千佳?

意味がわからない。


「あのおねえちゃんはね、このペンとなかみが入れ替わっちゃったの。……ふふっ、『どうなってる!? 助けてお姉ちゃん!』っていってるよ?」

「じょ、冗談でしょ……?」


女の子が私の額にコツン、とシャーペンを当ててくる。

何度見てもそれはただのシャーペンにしか見えない。

これの中身が千佳?

そんな馬鹿なことが……。


「おねえちゃんも入れ替えてあげるね。なにがいいかなー」


そう言うと女の子は持っていたシャーペンを胸ポケットにしまい、今度は私の鞄の中を漁り始めた。

さっきと同様に私のことなんか気にせずに好き勝手物色している。

やがて、女の子は鞄から一冊のノートを取り出した。

水色の装丁のごく普通の大学ノート。

まだ買ったばかりでほとんど新品のものだ。

ノートを手に持った女の子はそれを私の前にかざしてくる。


「さっきのおねえちゃんがペンだから、あなたはノートにしてあげる! いっしょにたくさんおべんきょうしてね!」


女の子がにっこりと笑う。

普通なら無邪気に思えるその顔は、底知れない不気味さを孕んでいた。


「さあ、入れ替わっちゃえ!」


女の子がそう言った途端、私は一気に気分が悪くなった。

全身から冷や汗が吹き出て悪寒に体が震え、それと同時に強い吐き気も催してくる。

ただ、これは普通の吐き気じゃない。

胃の中のものじゃない、もっと大事な私自身とも言えるものが込み上げてくるような、そんな恐ろしい感覚がする。


「かっ、……ああッ………!」


勝手に開いた口から何かが溢れ出てくる。

駄目だ、これは出しちゃ駄目だ……!

そう思っていても体の自由が効かない私には我慢することができない。

視界の端にピンク色の光が見えたそのとき、私はついにそれを吐き出してしまった。

その瞬間、私の全身の感覚は消失した。

手足の感覚も、さっきまで感じていた不快感も全て消え、私は宙に浮かんでいるかのような不思議な気分を味わっていた。

意識も朧げで、ふよふよとその場を漂っているような浮遊感。

すると、私は何かに引き寄せられていくの感じた。

抵抗もできないまま、私はそれに吸い込まれていく。

自分が、何かに溶け込んでいく。

失われた体の感覚が、少しずつ戻っていく。

けれど、それは私のよく知る感覚ではなかった。

次第に意識がはっきりとしてくる。

私は、どうなったの……?


「ふふっ、きぶんはどう?」


上から女の子の声が聞こえてくる。

私は体を起こして女の子の方を向こうとして、すぐにそれができないことに気づいた。

この体、手足どころか関節といったものが全くない。

自分で動くこともできない。

辛うじて視覚や聴覚、触覚などの五感は生きているようだけれど、それがかえって今の状況を理解不能にさせてくる。


(ど、どうなってるの!? この体!?)


私が上げた声は、声として発せられることはなかった。

けれど女の子には伝わっているようで、心底楽しそうな顔で私に声をかけてくる。


「おねえちゃんはノートになったんだよ。ほら、みて?」


そう言って女の子は懐から鏡を取り出し私に向けてきた。

鏡には、女の子が持っている水色のノートしか映っていない。

普通ならば私の顔が映るはずなのに、鏡の中に私の姿はなかった。


(な、なんで……? なんで私が映らないの?)

「うつってるじゃない。しんぴんのきれいなノートが」


女の子が指でトントン、とノートを叩く。

すると、私の方にもお腹を叩かれたような感覚がした。

まさか、あの鏡に映るノートと、私の感覚がつながっている?

それじゃあ本当に……?


(私、本当にノートになってる……?)

「だからそういってるでしょ? ふふっ、ふたりともおにあいのすがたになれたね」


女の子は胸ポケットからシャーペンを取り出した。

さっき私に見せつけてきたピンク色のシャーペンだ。


(お姉ちゃんっ!)


そのとき、頭の中に声が響いた。

私のよく知る、妹の千佳のものだ。


(千佳!? どこにいるの!?)

(ここだよ! お姉ちゃんの前にいるよ!)


声は女の子が手に持つシャーペンの方から響いている。

千佳は、本当にシャーペンになってしまってたの?


(千佳、あなたシャーペンに……)

(お姉ちゃんも、ノートに……)


変わり果てた姿での再会に私たちは言葉を失ってしまった。

このただの文房具が、私たちの今の姿だなんて……。

ふと、視界の端に誰かの姿が映った。

地面に倒れ込んでいる二人の少女の姿だ。

片方は先ほど見た千佳の体。

もう片方は、鏡以外で客観的に見ることなんて本来あり得ないはずの、私の体だった。

虚ろな目をして口を半開きにしたまま意識を失ったように地面に倒れ伏している私の体。

こんな自分の姿を見るのは生まれて初めてだった。


「それじゃあ、つづきはおうちであそぼうね、おねえちゃんたち」


そう言うと女の子は私たちを両手に持ったまま歩き始めた。

倒れている私たちの本当の体を放置して。


(ま、待って! 私たちの体を元に戻して!)

(ちょっと! どこにつれていくの!?)

「〜〜♪」


私たちの抗議の声を無視して、女の子はスキップしながらその場を離れていく。

こうして、連続失神事件の新たな被害者となった私たちは女の子に持ち去られてしまった。

薄暗い住宅街の道路に倒れている自分たちの元の体を、文房具の姿で苦々しく見つめながら。




────────




気がつくと私たちは知らない部屋の中にいた。

薄ピンク色の壁紙やたくさんのぬいぐるみが目につくファンシーな雰囲気をしている。

この女の子の部屋だろうか。


「さあ、おうちについたよ」


女の子が私たちを机の上に放り投げる。


(きゃっ!?)

(うわっ!?)


ぱさっ、と音を立てて私は机の上に倒れた。

元の体だったら怪我をしてしまうような勢いで落下したけれど、今は体が軽いおかげか全然痛みを感じなかった。

隣ではカラカラっ、と音を立てながらシャーペンになった千佳が転がっている。


「わたしね、ぜんぜんおべんきょうしたことないから、きょうはおべんきょうごっこしたいな」

(お、お勉強ごっこ……?)

「うん、おねえちゃんたちをつかって、わたしがおべんきょうするの」

(私たちを使って、って……)


私たちのことを人とも思わないような言い様に、私は強い不快感を覚えた。

この子は私たちのことをただの遊び道具だとしか見ていないようだ。


(私たちは人間なの! こんなことやめて早く元に戻して!)

「ふーん、にんげんさんなんだ。これでも?」


そう言って女の子は私を持ちあげる。

そして私の体を、開いた。


(っ!?)


今まで感じたことのない不思議すぎる感覚に、私は思わず息を呑んだ。

私の体が、パラパラと捲られている。

自分では何がどうなっているのか認識することもできない。


「あははっ、こんなかみでできてるにんげんさんがいるの?」

(や、やめて、それ……)


人間の体との感覚の違いに、私はただただ混乱していた。

こんなことを続けられたら、そのうち頭がおかしくなってしまいそうだ。


(ちょっと! やめなさい! あんたこんなことして許されると思ってるの!? 子供だからってなにしてもいいとか思わないでよ!)


私を案じた千佳が女の子に強く抗議した。

その言葉を聞いて女の子は手を止めたけれど、代わりに千佳に向けて冷たい視線を向け始めた。


「……そっちのおねえちゃんはさっきからうるさいね。ちょっとおしおきしちゃおうかな」

(な、なにする気!?)


女の子は私を机の上に置くと、今度はシャーペンとなった千佳を手に取った。

そして、右手で強く握りしめながらカチカチカチカチ、と頭を何度も押し続けた。


(んひゃあああぁっ!? な、なにこれっ、あっ、あっ、やめっ、ああッ!?)

「ほらほら、どうしたの? わたしのことゆるさないんでしょ? なんとかいってよ」

(あひゃっ、やめれっ、あっ、あっ……んびゃああッ、たしゅけ、あがッ!)


千佳が狂ったように叫び声をあげる。

その間も女の子はノックをし続け、シャーペンの先からは長い芯が出てきている。

きっと千佳も私と同じように人間の体ならあり得ない感覚を味わっているに違いない。

いや、ただパラパラと捲られただけの私と違いシャーペンとして内部の機構を動作させられ続けるその感覚は、さっきの私以上に強い違和感を伴うはずだ。


「あ、シャーしん、ぜんぶぬけちゃった」

(はあっ、はぁっ……お、終わった……?)

「じゃあまたいれてあげるね」


女の子はシャーペンの頭のキャップを外し、抜け落ちたシャー芯を中に戻した。


(ひっ!? あたしの中に、なんか、入って……)

「はーい、もういっかーい。それ、カチカチー」

(んあああぁあァッ!? それ、やめ、あッ、あひゃ、おっ、おおッ!?)


女の子は楽しそうな顔でノックを再開する。

人としての理性を失ってしまったかのような絶叫を上げる千佳を前にして、私は恐怖で何も言えなくなってしまった。

人として見てもらえず、物として扱われる。

それが自分の身に降りかかろうとしているのがこんなにも恐ろしいだなんて。


「あれ? もうこわれちゃった? だいじょうぶ?」

(は、はへ……あたひ、は……)

(ち、千佳……)


何度もノックを繰り返された千佳は疲労困憊といった様子で会話もおぼつかないような状態だった。

女の子はシャー芯を千佳の中に戻すと、ポイっと私の上に投げ出した。


「おねえちゃんたち、あんまりおもしろくないね。なんかあきちゃった」


自分の都合で私たちをこんな目に遭わせているくせに、随分と好き勝手なことを言っている。

とはいえ、それを言ってしまったら私も何をされるかわからないし、ここは下手に出るしかない。


(飽きちゃったなら、私たちを戻して……お願いだから……)

「うーん、まあいっか。それじゃあかえしてあげる」

(……え!? ほ、本当に!?)


思わぬ回答が女の子から飛び出し、私の中に希望が芽生えた。

早くこの悪夢のような時間が終わってくれるならなんでもいい。


「うん。わたしはもうまんぞくしたから、もちぬしのところにかえしてあげるね」

(え……? それってどういう……)


微妙に不可解な言い回しに疑問を唱えようとする私と、意識を朦朧とさせながらうわごとを繰り返す千佳を手に取った女の子は、思わせぶりな表情をしながら部屋を後にした。




────────




(ここって……)


女の子が私たちを連れてきた先は、病院だった。

深夜になり人気も少なくなった薄暗いエントランスを女の子は我が物顔で歩いていく。

やがて、私たちある病室にたどり着いた。

病室の中を女の子が進むと、ベッドに寝ている少女の姿が目に入る。


(あれは……私?)


虚ろな表情をしてベッドに寝かせられていたのは、私の体だった。

よく見ると、隣のベッドでは同じように虚ろな表情の千佳の体が横になっている。

きっとあの後通行人にでも通報されて救急車で運ばれて来たのだろう。

ここは私たちの体の入院先の病院のようだ。


「かんどうのごたいめんだね」

(……お願い。早く元に戻して)


私はなるべく感情を抑えながら女の子に頼んだ。

とにかく早く元に戻りたい。

今はそれだけを考えていた。


「もとにもどす? なんで?」


けれど、女の子から帰ってきた言葉は私の希望を簡単に打ち砕いた。


(ちょ、ちょっと! 元に戻すってさっき……)

「わたしはかえしてあげるっていったんだよ。あなたたちを、このふたりのおねえちゃんにね」


そう言うと女の子は近くの台の上に私たちをそっと置き、そのまま背を向けて歩き始めた。


(ま、待ってよ! 私たちを元に戻して!)

「じゃあね。ペンさんにノートさん」


女の子は私たちに向けて笑顔で手を振るとそのまま病室から去っていった。

残されたのは身動き一つ取らない私たちの体と、文房具のまま身動き一つ取れない私たち。

自分では何もできない今の状況は一言で表すと、絶望だった。


(……あ……あた、し……どうなって……)

(千佳!? 大丈夫!?)


それまでずっと黙っていた千佳が、ようやく言葉を話してくれた。

女の子に弄ばれて以降まともに喋れなくなってしまっていたので心配していたのだけれど。


(……ち、か……? あたしって……)

(千佳! しっかりして!)

(……そっか、あたし、千佳だ。あの子供に、シャーペンにされて……)


ようやく千佳も意識がはっきりしたようだ。

こんな状況だけれど少しだけ安心した。


(お姉ちゃん、ここ、どこ……? あたしたちどうなったの?)

(……ここは私たちの体が入院してる病院みたい。あの女の子、私たちをここに置いてっちゃったの)

(そ、それって……元に戻れないってこと……?)

(だ、大丈夫だよ。失神事件の被害者はみんな翌日には意識を取り戻してるみたいだし……)


ニュースによると今まで路上で倒れたのを発見された人たちはすぐに回復して普通の生活に戻っているらしい。

きっと明日になれば私たちも元に戻っている。

……そう思いたい。




────────




翌日。

病院で私たちは朝を迎えた。

文房具の体のままで。


「湊……千佳……」


病院にはお母さんが来ていた。

心配そうな顔をしてベッドに寄り添っている。

けれど、そこにいるのは私たちではなく、私たちの抜け殻となった体だった。


(お母さん! あたしたちはこっちだよ!)

(なんで、こんなことに……)


お母さんは私たちには見向きもせず体の方ばかりに気を取られている。

どうやら、あの女の子以外の人に私たちの声は届かないらしい。

ただのシャーペンとノートとなった私たちに、自分の言葉を他人に伝える術はなかった。


「お願い、湊……目を覚まして……」


お母さんが私の体の手を握る。

でもそんなことをしても私の体は目を覚ますわけがない。

本物の私はこちらなのだから。

どんなに声をかけても意味なんて。

そう考えていた、次の瞬間。


「……あ…………」

「っ!? 湊!?」

(え……?)


私の体が、呻き声を上げながらお母さんの手を握り返した。


(お、お姉ちゃん! お姉ちゃんの体が、勝手に……)

(え? え? なんで? あっちは、抜け殻のはずじゃ……)


私の体はゆっくりと体を起こし、お母さんの方を向いた。

目に光は灯っておらず、相変わらず虚ろな表情をしている。

けれど、そこには確かに人間らしい動きがあった。


「湊! 目を覚ましたのね! よかった……」

(お母さん! 違う! それは私じゃないの!)


どんなに声をかけたくても、私の言葉はお母さんに届かない。

すると、隣のベッドでも千佳の体が意識を取り戻したように首を動かしている。


(あたしまで……なんでなの?)


そこで私はハッとなる。

あの子は最初こう言っていた。

『入れ替わっちゃえ』と。

私はそれを、私たちの中身を文房具に移し替えることを意味してるのだと思っていた。

でも、もし文房具の方も中身を私たちの体へと移し替えられていたとしたら?

今あの体を動かしているのはもしかして、このノートとシャーペンの魂?

そんな、馬鹿なことがあるわけが。


「と、とりあえず先生呼んでくるね!」

「…………」


お母さんが先生を呼ぶために病室から出ていく。

残された私たちの体は、首の向きを変えてまっすぐにこちらを見ていた。

感情を感じさせない冷たい目でじーっと見つめるように。


「……あ、あ……わ……わ、たし……わたし、私……私の名前は、みなと……私は湊、私は、湊……」

「……あた、し……あたしの、なまえは……あたしの名前は、ちか……あたしは千佳、あたしは千佳……」

(ッ!?)


私たちの体が言葉を発した。

まるで確認するように自分の名前を言っている。

おかしい。

こんなの絶対おかしい。

あの体の中身はただの文房具のはず。

人間の言葉なんてわかるわけないのに。

私たちの名前なんて知ってるはずがないのに。


「先生! こっちです!」


先生たちを連れてお母さんが部屋に戻ってくる。

すると、それまでずっとぶつぶつと呟いていた私たちの体は口を止め、ゆっくりとお母さんの方を向いた。

その冷たい表情を少しずつ変えながら。


「……おかあ、さん……お母さん、ごめんね……心配、かけて……」

「! ……み、湊……!」


お母さんは目に涙をためながら私の体に抱きついた。

私の体は先ほどまでとは打って変わって優しげな笑みを浮かべている。

喋り方も、まだたどたどしさを残していながらも明らかに人間の口調で話していた。

なんで、こんな。

私と千佳はあまりのショックで何も言えなくなっていた。

私たち以外のものが、私たちのフリをして喋っている。

その不気味すぎる状況を前に私たちは何もすることができなかった。




────────




「お母さん、ちょっと先生とお話してくるからあなたたちは少し待っててね」


お母さんが病室から出て行くと、私の体がノートとなった私のことを持ち上げた。


「こんにちは、“元”湊さん。今は、ノートさんって、呼んだ方がいいかな?」

(……あなたたちは、何者なの?)


私は目の前の少女に問いかけた。

少女は私の声を聞いてニコリと微笑む。

どうやら私の声が届いているらしい。


「もう、わかってるでしょ? 私は、元は今のあなた、ノートだったんだよ。あの女の子の力で、体が入れ替わっちゃったみたい」

(……ノートがそんな風に話すわけないでしょ)


ノートはただの紙の束だ。

意識なんてあるわけないし、仮に人の体を手に入れたって話し出すわけがない。


「今のあなただって、ただのノートなのに、喋ってるよ」

(私は人間だよ! ふざけないでちゃんと答えて!)

「そうだね。あなたは元は人間。だからそうやって話せる。私たちはね、今は人間になってるの。これがどういうことかわかる?」

(……?)


体が人間なだけで、目の前の少女は人間ではない。

私の体をしているだけの、ただの文房具だ。

それが、どうしてこんなに自信満々な顔で話せるのだろう。


「この体になってすぐは意識なんてなかった。心も感情も持たないでただそこにあるだけだった。でも時間が経つごとに少しずつ、人間らしさが身についてきたの」

(人間らしさ……?)

「服が肌に擦れる感覚、朝の日差しが眩しい感覚、私の手を握るお母さんの手の温かい感覚。それらを感じるごとに私は自分が人間であることを自覚できるようになってきたの。そして、さっきようやく私は私としての自我に芽生えることができた」


自我に目覚めるなんて、無機物ではまずあり得ない現象が今目の前で起きている。

私はただ困惑することしかできない。


「多分だけど、この入れ替わりはその体としての機能を使えば使うほどに体に馴染むことができるみたい。人間には五感っていうものがあるから、放っておいても勝手に体に馴染むようになってるのかな。最初は言葉も怪しかったけど、ほら、今は普通に喋れるようになってきた」

(そ、そんな……)


気づけば目の前の少女は先ほどまでよりも明らかに流暢に話していた。

最早、普通の人間と大差ないほどに。


「まだ少し体を動かすのには慣れないけど、この分だとすぐに生活に支障がないくらいにはなれそうだね。それに、記憶の方もどんどん頭の中に入ってくる」

(き、記憶って……)

「この頭の中に入ってる記憶だよ。今まで私っていう人間がどう過ごしてきたのか、どんな性格だったのか、どういう人間関係を築いてきたのか。そういったことが全部わかるの。人間の人格は脳に宿っているんだから、当然体に馴染めば私は私っていう人間そのものになっていくっていうわけ」


いつの間にか、目の前の少女の話し方やイントネーションの癖がほとんど私と変わらなくなっていた。

これではまるで私がもう一人いるみたいだ。

いや、今の私はノートになっているのだから、周りの人たちからすれば私というのはこの目の前の少女ということになるのかもしれない。


「あたしの方も、もうすっかり自分が何者なのかわかってきたよ。これからよろしくね、お姉ちゃん」

「一応、初めましてなのかな? 記憶の中だと千佳とはずっと一緒にいたからなんだか不思議な気分」

「あたしもそうだけど、まあ記憶にある通り姉妹として仲良くやっていこうよ」

「そうだね、あはは!」


私の体をした元ノートと、千佳の体をした元シャーペンが楽しそうに話している。

それを見て、私の中で不快感が込み上げてきた。

冗談じゃない。

こんな勝手に私という存在を奪われてたまるものが。


(ふざけないでよ! あなたは私じゃないし、あなたも千佳じゃない! ね、千佳!)


隣に転がっているシャーペンの千佳に声をかける。

けれど、何故か反応が返ってこない。


(…………)

(ち、千佳? ねえ、千佳ったら!)

(……え? あ、そっか、千佳ってあたしの名前……)

(な、何言ってるの千佳? しっかりしてよ!)


千佳の様子がどうもおかしい。

思えば昨日、あの女の子に弄ばれてからぼーっとすることが増えているような気がする。


「さっき言ったこと覚えてる? 入れ替わった体の機能を使えば体に馴染むって話」

(え? それが何か…………まさか)


この目の前の少女たちは人間としての感覚を知ることで人間らしくなっていった。

それじゃあ、今の私たちが文房具として使われたら……?

考えるだけで恐ろしくなる。

千佳は昨日シャーペンとして頭をノックされ続けていた。

その影響が少しずつ現れているのなら、千佳は今のシャーペンとしての体に馴染み始めているのかもしれない。

これからもっと馴染んでしまったら、私たちはいったいどうなってしまうの?


「お待たせ。このまま二人が元気になったら明日にはもう退院できるかもって先生が言ってたよ」


お母さんが病室に戻ってきた。

私の体は、さりげなく私のことを台へと戻す。

おしゃべりはここまでということらしい。


「すみません、松浦さん。こちらの用紙に記入をお願いしたいのですが……」


お母さんに続いて病室に入ってきたナースさんがお母さんに何かの紙を手渡している。


「はい、わかりました。……あら、ペンは?」

「あっ! す、すみません、すぐに取ってきます!」

「大丈夫だよお母さん、ペンなら私が持ってるから」


そう言うと、千佳の体がこちらに手を伸ばしてきた。

そして、私の隣に転がっているシャーペンの千佳を手に取る。


(ひっ!? や、やめて! 離して!)

(千佳っ!)


悲鳴を上げる千佳を無視して、千佳の体がシャーペンをお母さんに手渡す。

まずい、このままじゃ……。


「ありがとう、借りるね」

「うん。ゆっくりと、丁寧に書いてね」


千佳の体がニヤニヤとしながら言う。

お母さんはそれに気づかず、シャーペンの頭に親指を添えて、カチカチとノックした。


(あ、ああぁあっ! こ、この感覚、やだ、また、あたしが、おかしくっ……)

(千佳っ! やめて! お母さん!)


私がどんなに懇願しても、お母さんには届かない。

お母さんはそのままシャーペンの先端を紙に近づけていく。

やめて、そんなことをしたら、千佳が……。

このままでは取り返しのつかないことになってしまうのがわかっていても、私には何もできなかった。


「……千佳はあたし。だから、あなたはただのシャーペンになっちゃえ」


小さな声で千佳の体が呟いた。

そして、ついにお母さんは芯の先を紙に当て、シャッと横に線を引いた。


(んひぃいぃいいぃっ!!? にゃ、にゃにこれぇえぇっ! あっ、あッ、あたま、おかしくっ、んにゃあぁあぁっ!!?)


瞬間、千佳の絶叫が響き渡る。


(せ、せん、線ひいてるっ、あたし、ペンになって、せんひいてりゅうぅっ! あっ、あッ、そっか、あたし、書くための、道具っ、あたし、どうぐだったんだっ、あ、あはっ、おっ、おおッ!?)

(千佳! しっかりして! 千佳っ!)


お母さんが文字を書く毎にどんどん千佳の声から理性というものが消えていく。

どんどん人間らしさを失っていっている。

だとしたらこれから千佳が向かう先は……。


(おっ、おッ……あたしは、道具……書くための、道具……あたしは、シャーペン、ただの、ペン……あたしは、シャーペン……あたしは、シャーペン……あたしは……)


徐々に千佳の声が小さくなっていく。

千佳が、ただのシャーペンになってしまう。

そんなの嫌だ。


(千佳っ! ダメっ! あなたはシャーペンなんかじゃない! 人間なの! しっかりして! 千佳っ!)

(……………………)

(千佳! 返事してよ! 千佳っ!)


私がどんなに叫んでも千佳は返事をしてくれなくなった。

千佳は、何も言わずにただシャーペンとして文字を書き連ねている。

それは、誰が見てもただの文房具でしかなかった。

やがて、文字を書き終わったお母さんはシャーペンを千佳の体に返した。


「はい、ありがとう」

「こちらこそ。ありがとう、お母さん」

「? なんで千佳がお礼を言うの? おかしな子ね。あ、そうだ、それでね……」


三人はそのまま談笑を始める。

その横で、私は無造作に台の上に転がされたピンク色のシャーペンをただ見つめていた。

シャーペンというただの文房具に馴染んでしまった、可愛い妹の無惨な姿を。




────────




「へえ、ここが私の部屋なんだ。記憶にはあったけど、実際に入るとなんだか居心地がいいね」


あれから特に何事もなく、翌日私たちは退院して家へと帰ってきた。

……もっとも、退院できたのは私の体の方で、今の私はノートの姿のままなのだけれど。


(……ここは私の部屋だよ。あなたのじゃない)

「もういい加減認めてよ。今は私が湊なの。だからこの部屋はもう私のものだよ」


私の体は、私を勉強机の上に置くと椅子に座って私の方に顔を向けてきた。

その顔は呆れ半分といった様子で、自分の絶対的優位な立場が揺るがないことを自覚しているようだ。


(……早く私の体を返して)

「だから無理だってば。私たちはあの女の子に勝手に入れ替えられちゃっただけなんだから戻り方なんてわからないよ。まあ、わかっても返したくはないけど」


私だってそんなことはわかっている。

それでも言わずにはいられなかった。

このままノートのままでいるなんて、考えたくなかった。


「あなたのこと、どうしようかってずっと悩んでるんだ。このまま意識のあるノートとして友達になれたら、っていうのも考えてるんだけど、どう?」

(友達? 私の体を奪って勝手に使ってるあなたと? ふざけないでよ)


どこまで人を馬鹿にするつもりなのか。

いや、そもそも人だとも思っていないのか。

どちらにしても私としてはあり得ない提案だった。


「まあ、そうなるよね。それじゃあ、あなたもその体に馴染ませた方がいいのかな」

(っ!)


その言葉に思わず息を呑む。

体に馴染む。

それは、私が身も心もただのノートになることを意味していた。

千佳はシャーペンとして使われて以降、全く喋らなくなった。

完全にシャーペンになり、人としての感情も心も全てなくしてしまったのだ。

このままでは私も、あんな風に何も感じないただのノートになってしまう。

そんなのは絶対に御免だ。

この絶望的な状況に抗おうとなんとか強く気を保っていると、誰かが部屋に入ってきた。


「お姉ちゃん、入るよ。まだそのノートと話してるの? いい加減やめなよ。変な人だと思われるよ?」

「だってこのノートさんはまだ意思が残ってるし、無視するのも可哀想じゃない?」

「だから、あたしみたいにさっさと使っちゃえばいいんだよ。そうすれば面倒くさくないじゃん」

「うーん、まあそうなんだけど……」


部屋に入ってきたのは千佳だった。

いや、千佳ではない。

千佳の体で千佳のフリをしているシャーペンだ。

どんなに千佳らしく振る舞おうと、私はあれを千佳だと認めない。


「ん? 千佳、それって……」

「せっかくだからこれ使って馴染ませてあげなよ。喜ぶんじゃない?」


千佳の体が手に持っていたのは、あのシャーペン。

あたしの大切な妹の、成れの果ての姿だった。


(千佳!)

「千佳はあたし。これはもう千佳じゃないよ、ノートさん」


千佳を手に持った千佳の体が、机の前にやってくる。

冷たい視線で私のことを見下ろしてくるその姿は、いつも千佳が姉である私に向けてたものとは明らかに違っていた。


「なるほどね。妹を使って文字を書いてあげればこのノートさんも未練なくノートに馴染めるかな?」

「あはっ、違うよお姉ちゃん」


千佳の体がいきなり笑い出した。

イタズラっぽい笑みを浮かべながら千佳の体は、シャーペンの千佳とノートの私を見比べている。


「これはシャーペン。こっちはノート。この二つは全く違う工場で作られて、全く違う店で売られて、全く違うタイミングで買われて、全く違う持ち主に使われてたものなんだよ? あたしとお姉ちゃんは姉妹だけど、なんの関係もない、なんの縁もゆかりもないこの二つの文房具が姉妹なわけないじゃない」

「たしかに。この二つは赤の他人……いや、赤の他文房具なわけね」


好き勝手言ってくる二人に、私はもう限界だった。


(あなたたち、絶対に許さないっ! 私が元に戻ったらノートは切り刻んで燃やして、シャーペンもバラバラに分解してパーツ一つ一つ粉々にしてやるんだから!)

「……だってさ。どうする? お姉ちゃん」

「ここまで言われちゃったらもう友達にはなれなさそうだよね。仕方ない、終わりにしようか」


そう言うと、私の体は千佳のことを手に持ち、カチ、カチ、と芯を出す。

そして、その先端を私へと向けながら私の体を開いた。


(っ! や、やめてっ! それ以上近づけないで!)

「そんな酷いこと言わないでよ、あなたの妹じゃなかったの?」

「安心して。私はちゃんと最後まで大切にあなたたちを使ってあげるから」


シャーペンの芯の先端が、私の体に触れる。


(あっ……)

「それじゃあ、いくよ」


その瞬間、私の中で何かが壊れた。


(あ、あっ、あああぁあぁぁッ!? や、これ、あっ、ダメっ、んっ、くうっ、あがぁッ!?)


私の体の上を、鋭く何かが駆け抜ける。

身を削りながら擦り付けられるそれは、私の上で黒い線となった。

これは、文字。

私の上で文字が書かれている。

手など肌に落書きされるのとは全く違う。

書くべきところに書かれるべきものが書かれていくこの感覚は、今まで感じたことがないほどの快感だった。


(きもちいぃっ、すごっ、これ、やばっ、あっあっ、ああッ! わたし、字、書かれて、すごく、きもち、よくなってぇっ、あっあッ!)


だんだんと頭が回らなくなってくる。

快感に飲まれて思考がうまくできない。

ただ思ったことが蛇口を捻ったときみたいに声となって出てしまう。


(わたしつ、すごっ、字、かかれる、すき、すきぃっ! これすきぃっ! もっと、もっとかいてぇっ!)

「うん、もちろん」


上から声が聞こえる。

その声の主は手を止めずにスラスラと文字を書き連ねる。

その度に私の心はたまらなく震えた。

なんて気持ちいいんだろう。

文字を書いてもらえることが、私を使ってもらえることがこんなにも嬉しいだなんて。

私は今この瞬間のために生まれてきた、と言われても何も疑問に感じないほどに、私の内は喜びに満ちていた。


(しゅごいっ、しゅごいのぉっ! わたしっ、じをかかれるためにうまれたのぉっ! ……あ、ありぇ? そうだったっけ? わたしって、えっと……)


呑まれそうになりながらも心の中の何かが私に警鐘をならしていた。

このままではいけない。

このまま馴染んではいけない。

私はノートなどではなく、人間なんだから。


(そ、そうだ、わたしは、にんげ……)

「ほらほら、書かれるのに集中して」

(んおおぉッ!? おッ、ダメっ、またっ、あたまおかしくなりゅうっ! わたし、わたしじゃなくなっちゃ……あっ、ああッ! わたし、にんげん? のーと? どっちだっけ? ありぇ? わかんなくっ、なっ、て……)


考えがどんどんまとまらなくなっていく。

私は本当に人間だったんだっけ?

人間って字を書かれると気持ちいいんだっけ?

人間って字を書かれるために生まれたんだっけ?

違う気がする。

でも私は字を書かれるために生まれてきた。

それじゃあ。


(なあんだ、わたしって、にんげんじゃなかったんだ。わたしは、ノートなんだ)


私は、初めて自分が何者なのかを自覚した。

私はノート。

私は文房具。

私は文字を書かれるために作り出された道具。

人間じゃない。

そう自分の中で結論づけた瞬間、急激に私の中に変化が起こった。

私の中にある記憶、知識、価値観、ありとあらゆる内面性が消えていく。

当たり前だ。

私はただの道具で、人間ではないのだから。

ただの道具は何も記憶しない。

ただの道具は何も知らない。

ただの道具は何も考えない。

ただの道具は何も感じない。

私は、ただの道具。

私は、ただのノート。


(私は、ただのノート。私は、ただの道具。私は、ノート。私はノート。私はノート)


私はノート。

私はノート。

私はノート。

私は……。

わた…………。

わ………………。

……………………。




────────




「声、止まったね」

「そうだね。完全にノートに馴染んじゃったみたい。ノートさん、聞こえる?」




「返事もないし、本当にただのノートみたいだね。ところでお姉ちゃん、ずっとなに書いてたの? なんかすごく長い文章書いてたけど」

「これ? 日記だよ。私がこの体になって、昨日自我に芽生えたところから感じたことをつらつらと書いてたの。自分が人間になったんだっていう証明としてね」

「ふーん。それをそのノートに書くってのもなんか皮肉が効いてるね」

「別にそういう意図はなかったんだけど、言われてみるとちょっと面白いかも」




「……ねえ、千佳。信じられる? このノートとシャーペンが元は私たちだったなんて」

「まさか。一応入れ替わったっていう認識はあるけど、今じゃ自分が人間じゃない無機物だったなんてとてもじゃないけど信じられないよ。夢でも見てたんじゃないかって気分」

「この子たちも自分が人間だった夢を見てる気分なのかな?」

「そんなわけないでしょ。これはただのノートとシャーペンだよ。夢なんか見ないし、何も感じてないよ」




「それにしても、どうしてあの女の子は私たちを入れ替えてくれたのかな?」

「今にして考えると、あの連続失神事件って全部あの子が人間と物を入れ替えて起こしてるものだよね? だとしたら相当な人数がただの物になっちゃってるわけでしょ? そこまでする理由って……」

「もしかしたら、あの子も物だった、とか? 長い年月が経た物には特殊な力と魂が宿るとかって言うし。ほら、付喪神ってやつ?」

「それならすごいね。付喪神さまさまだよ」

「きっとこれからも色んな物が人間になってあの子に感謝することになるんだろうね。もしまた会えたらお礼が言いたいな」




「そうだ、千佳。このシャーペン貰ってもいい?」

「ん? 別にいいけど。元自分のシャーペンとか気持ち悪いから捨てようと思ってたし」

「そう言うと思った。私は大切に使うって約束しちゃったし、ちゃんと二つセットで使ってあげた方がこの子たちも喜びそうでしょ?」

「……だから物は喜ぶとかそういう感情ないから。まあ、お姉ちゃんの好きにしたら?」




「湊ー! 千佳ー! ご飯だよー!」

「あ、お母さんが呼んでる。それじゃあ行こうか、千佳」

「うん、お姉ちゃん」




…………ガチャ…………バタン。

Comments

Part 2 please~

21ke13

「機能を使う」ことで馴染んでいくっていうのが素晴らしいですね!姉妹物品化はこうやって互いに交信したり妹→姉とタメがあったりして楽しみが倍加しますね!もうちょっと元シャーペンさんたちも文房具としての個性や名残があった方が(TS好きなのもあって)個人的には好みですが、とにかくゾクゾクドキドキさせていただきました!素晴らしかったです! 某旦那氏みたいに競泳水着との入れ替わりもみたいなと思いました。長文乱文失礼しました!

nijimaji

素敵です!こう言う話もまたゾクゾクしますね! (いつぞやのティーカップさんと話が合いそうな気がします)

m503netz


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