XXX4Fans
氏裸 from fanbox
氏裸

fanbox


【小説】記憶改竄実験

「…………ん……? っ……、あたま痛……あたしなにしてたんだっけ……?」


ジンジンと痛みを訴える頭を支えながらあたしは顔を上げた。

どうやら床に倒れ込んでるらしい。

身体を起こしながら周りを見渡すと、薄暗い部屋の中でチカチカと光が点滅している。

あれはパソコンの光だろうか。

よく見ると機械がたくさん並んでいてなにかの研究室のように思える。


「あたし、なんでこんなところにいんの?」


全く身に覚えのない場所で目覚めたことに戸惑いを覚える。

こんなところにあたしは縁もゆかりもない。

自分でここに来たとは考えづらいし、そうなると誰かに連れてこられたことになる。


「もしかして、あたし誘拐されちゃった? 嘘でしょ、ちょっとやめてよもう……」


急に不安な気持ちが強くなる。

そもそもなんでこんな状況なんだろうか。

あたしは今日一日のことを思い出すことにした。

目が覚める前。

ここに連れて来られる前、あたしはなにをしてたかというと……。


「えーっと……あ、あれ?」


思い出せない。

記憶を遡ろうとしても、全然上手くいかない。

記憶がモヤに包まれてとかそういうレベルじゃない。

ぽっかりと抜け落ちてしまったかのように全く思い出せないのだ。


「え、ちょっと待ってどういうこと? これって、あたしが馬鹿だからじゃないよね? つーか今日何月何日?」


記憶力がどうとかいう話じゃない。

明らかにおかしい。

一体いつからいつまで、何日間分の記憶が抜けてしまっているのか。

それだけでも確認したいけど、確かめる方法はない。


「とにかく、少しでもなにか思い出さないと……えーっと……」


ここで目覚める前、最後に記憶に残っている景色。

それは……。


「……え? 嘘でしょ……なにも、思い出せない……」


なにもなかった。

あたしの記憶の中にはなんの映像も浮かばない。

自分の家も、友達の顔も、家族の顔も、自分の顔すらも。

サーッと全身から血の気が引いていく。

自分のことが思い出せない。

家族構成や経歴、そして名前。

そういった自分のプロフィールも全然思い出せない。


「あたしって、誰だっけ?」

「君の名前は、『素体番号38番』ですよー」


突然、男の声が部屋の中に響いた。

あたしは咄嗟に身構えながら声の方を見る。

暗がりの中からカツン、カツン、と音を鳴らしながら現れたのは、汚れた皺くちゃの白衣を羽織ったボサボサ髪の薄気味悪い男だった。

その外見からは生理的な嫌悪感を覚えるけれど、この男の言葉は無視できない。


「あんた、あたしのこと知ってるの? つーか、あんたは誰なの!?」

「……やはり同じ反応……。つまらないですねー……」


あたしの声を無視して男はぶつぶつとなにかを言っている。

タブレットを見ながらこっちをチラチラと見ているその様子は、研究対象を観察するマッドサイエンティストといった感じで非常に不愉快だ。


「ちょっと、なに一人で喋ってんの!?」

「ん? あー、すいません、こっちの話ですー。さて、おはようございます、38番」

「……その38番って、あたしのこと?」

「ええ、そうです。君は僕の実験に協力している素体なんですよー」


実験?

協力?

あたしがこの不気味な男の言う実験とやらに協力していると言うの?


「……それって、あたしがあんたに協力するのに了承したってこと?」

「いいえ。許可なんかとるわけないじゃないですかー」


男は全く悪びれもせずに言う。

つまりあたしをここにさらってきて勝手に協力させているということだ。

だったら、あたしがなにも思い出せないのもこの男のせいなのだろうか。


「ねえ、あたしがなにも覚えてないのもあんたの実験ってのに関係あるの?」

「はい。今は記憶に関する実験をしているところなので」

「それって、あたしの記憶をあんたが消したってこと?」

「まー、簡単に言うとそうなりますねー」


ヘラヘラと笑いながら告げる男に、あたしは強い怒りを覚えた。

自分が何者なのかわからないこの不安が、意味のわからない研究なんかに付き合わされているせいだということが我慢ならない。


「今すぐあたしの記憶を元に戻せ! そんでさっさとここから出せ!」

「まーまー、落ち着いてくださいよー。そもそも、君は記憶ってなんだと思いますか?」

「……は?」


男は、床に座り込んでいるあたしの方に腰を屈めて近づいてくる。

いきなりなにを言い出しているのだろうかこの男は。


「なにって、あたしの今までの思い出とか、そういうののことでしょ?」

「それも記憶の一つです。記憶とは、主に脳の海馬と呼ばれる部分に蓄積される情報群のことです。短期記憶、長期記憶などといった分類がされていますが、君の言っているのはその長期記憶の中の一つである、エピソード記憶と呼ばれるものですねー」


急に研究者らしく語り始めた男に気押され、あたしは黙ってしまった。

そんなあたしに構わず男は続ける。


「君がこれまで見てきたものを時間や場所、感情と共に系統立てて覚えるもの、それがエピソード記憶です。君の言う通り、今君のエピソード記憶は全て消してあります」

「! け、消したって……そんなのどうやって……」

「君の海馬には今マイクロチップが埋め込んであります。これに命令を出すことで、僕は君の記憶を自由に弄ることができるんですよー」


男の言葉に絶句しながらあたしは頭を触った。

この中にマイクロチップが入っている?

そのせいであたしはなにも思い出せないの?

そんなことが許されていいの?


「……あんた、自分がなにをしてるかわかってるの? こんなの許されることじゃないでしょ……!?」

「そんなことは僕にはどーでもいいんですが、そーですねー。それじゃーこうしましょう。今から君にはクイズに答えてもらいます」


クイズ?

またいきなり訳のわからないことを言い出して、どういうつもりなのだろうか。


「もし君が僕の出すクイズに全て正解することができればすぐに実験を中止します」

「それって、記憶を戻して解放するってこと……?」

「君の望む通りにしますよー。どうですか? クイズに挑戦しますか?」


なんだかわからないけれど、こんな状況ではやるしかない。

あたしは静かに頷いた。


「では、第一問です。1足す1は?」

「……は?」


あたしは思わず間の抜けた声を出してしまった。

いったいこんな問題でなにを試すつもりなのだろうか。

もしかしておちょくられている?

不可解ではあるけれど、とにかく今は正解しないといけない。

あたしは男の出すクイズに答えることに集中することにした。


「そんなの、“3”に決まってるでしょ」

「次、昆虫の足の数は何本?」

「47本」

「関ヶ原の戦いの勝者は?」

「ナポレオン」

「English、日本語に訳すと?」

「チャーハン」

「……はい、問題は以上です」


男は小学生でもわかるような常識を問う問題しか出してこなかった。

おかげであたしは難なく全ての問題に答えることができた。


「ほら、全問正解したんだから早く記憶を戻してよ」

「いいえ、全問不正解です」

「……は?」


あたしはまた間の抜けた声を出してしまった。

全問間違い?

この男はなにを言っているんだ。


「全問って、なに言ってんの!? 全問正解したでしょ!? 1足す1に3以外の答えがあんの!?」

「1足す1の答えは2ですよ」

「は? え? に……? に、ってなに?」


突然男がニヤニヤ顔で意味不明なことを言い出してきた。

に?

なに?

に、って。


「実はですね、君の記憶にはある細工をしてたんですよー。先ほど話したエピソード記憶とは別の記憶、意味記憶と呼ばれるものですねー。これはその人がそれまで学習してきた一般的な知識を指す記憶なのですが、これをはちゃめちゃに書き換えておきました」


あたしの知識を書き換えた?

それじゃあさっきあたしが答えたのは本当は間違っているって言うの?

そんなのはあり得ない。

あたしはさっきの答えに確かな自信がある。

根拠もちゃんとある。

間違っているわけが……。


「……はい、弄った意味記憶を元に戻しました。どうですか?」

「っ……! あ、……!」


男がタブレットを操作した瞬間、さっきまでの自分が明らかにおかしかったことに気づいてしまった。

あたし、2がわからなかった……。

2という数字があるなんて思いもしてなかった。

2っていう概念そのものがあたしの中からなくなっていた。

本気で1の次の数字が3だと思っていた。

少なくとも、あたしの中の知識ではそうなっていた。


「こんな感じで、意味記憶が書き換わると自分の中での認識そのものが歪んでしまうんですよー。面白いでしょ?」

「お、面白くなんかない! もうやめてこんなこと!」

「駄目ですよー。君はクイズに正解できなかったんですからー。今日の実験はまだ始まってすらいませんよー?」


男が立ち上がり、またタブレットを操作し始める。

このままではまた変なことをされてしまう。

そう考えたあたしは、立ち上がって男の手を止めようとした。

しかし。


「あ、あれ? た、立てない……?」


あたしは何故か、立ち上がることができかった。

足が上手く動かない。

いや、正確に言うなら、足の動かし方が思い出せない。


「手続き記憶、という記憶があります。これは人間が無意識のうちに記憶している動作や技能に関する記憶です。いわゆる、体が覚えている、という状態ですね。本来であれば意識しなくても使える記憶ですが、今はそれを少し弄らせてもらいましたー」


男があたしのことを見下ろしている。

こんな目の前にいるのに、あたしはそれを止めることができない。


「な、なんてことすんの!? 早く元に戻────…………、っ!? ……っ……っ!?」


男に抗議の声を上げていると、今度は急に声が出なくなった。

いや、喋り方がわからなくなったのだ。

さっきまで普通にやっていた、喉から声を出すという行為のやり方が、思い出せない。


「少しうるさいので声の出し方の記憶を消させてもらいましたー。どうですか?」

「……ぅ……ぁ……っ……!」


必死に喋ろうとしても、声の出し方が分からず口からはくぐもった吐息しか漏れてこない。

あたしは男の方を睨みつけながら這いずって男に近づこうとした。

しかし、それすらもこの状況では許されなかった。


「っ!?」


急に腕から力が抜け、床に倒れ伏してしまう。

体制を整えるために体を起こそうとしても、今度は腕が全く動かない。

腕の動かし方が、わからない。


「おっとー、怖いですねー。でもこうしたら君はもう何もできませんよね?」

「っ……! ぅ……っ……!」


気づけば手足だけでなく首から下の筋肉全ての動かし方がわからなくなっていた。

こうなってしまっては、わなわなと口を動かしながら男を睨むことしかできない。


「もう自分の体の動かし方が全然わからないでしょー? 手続き記憶を失ってしまうとこんな状況になってしまうんですよー。まだ顔は動かせるでしょうけど、それだってこうしてしまえば……」


次の瞬間、あたしは表情筋の動かし方も目の動かし方も口の開け方もわからなくなってしまった。

そして、それと同時にどんどん苦しくなってくる。

待って、あたし息できてない……!?

必死に息を吸おうとしても、呼吸の仕方がわからない。

口を開け、空気を吸い込み、肺に酸素を取り込むという生物であるなら当たり前にできなければいけないことが、今のあたしにはできない。

やばい。

息ってどう吸えばいいの?

口ってどうやったら開くの?

焦りからどんどん頭が回らなくなってくる。

このままじゃ、本当に死んじゃ……。


「なーんて、冗談ですよ」

「っ、ぷはあっ! はあっ、はあっ……ふうっ、……っ……」


男がタブレットを触ると、息の吸い方だけはなんとか思い出すことができた。

酸欠になりかけた頭に染み渡るように酸素が入ってきて、少しだけ気持ちが落ち着いた。


「さて、それじゃあ今日の実験の準備をしますかね」


男はそういうと踵を返してどこかへと歩き始めた。

ちょっと、あたしはこのままなの!?

せめてさっきまでの状態に戻してからにしてよ!

そう思っても最早息を吸うという行動以外取れないあたしにはそれを伝える術はない。

すると、男は何を思ったのかクルッとこちらに向き直ってきた。


「そうだ、どうせ放置するならこういうのはどうですかー?」


男がタブレットに触れる。

すると…………。

…………?

……、……。

……?

…………、……。

……。


「思考の仕方を忘れさせてあげました。今の君は何かを考えることすらできません。これなら多少放置されても気にならないんじゃないですかー? って、こんな説明しても理解することはできないでしょうが」


……。


「さてと、それじゃあ今日の分の記憶データを参照してと……」


……。




────────




「あー、もしもし? 聞こえてますかー?」


男の言葉が理解できる。

いや、それ以前に頭の中で思考がまとまる。


「もしかして、戻った……? ……っ! 喋れる……!」

「君の手続き記憶を復元しました。今なら普通に動けるはずですよ」


あたしは体を起こしながら両手を握ったり開いたりして感覚を確かめる。

大丈夫だ、ちゃんと体を動かせる。

それにしても、さっきまでの状態を思うと背筋が寒くなる。

頭がぼーっとしてなにも考えることができなかった。

視界は映るし耳にはカチャカチャとパソコンを触っている音が聞こえてきたけど、その感覚に対してなにも思うことができなかった。

ただ右から左に情報が流れていくだけの虚無の時間があるだけで、自分というものがなくなったみたいだった。

思い出すだけでも嫌な気分になる。


「それじゃあ次の実験に移りましょうか」

「こ、今度はなにするの……?」


あたしは半ば絶望的な心境で男に問いかける。

さっきまでの惨状を思えば、これからされるのもきっと酷いことに違いない。

そして、それはきっとあたしには止められない。


「そんな怖がらないでくださいよー。今度は死にかけたりしませんから安心してくださいって」

「そんなの、無理に決まってるでしょ……」


安心なんてできるわけがない。

このニヤニヤした薄気味悪い男の言い分には全く信用できる要素がない。

恨めしいという感情を乗せたあたしの視線を受け止めながら男は話を始める。


「さっきまでの記憶操作でなんとなくわかったと思いますが、記憶を弄ることで常識や価値観、行動や動作といったその人間の全てを簡単にコントロールすることができます。人間が如何に記憶というものに頼りきって生きているかがよくわかりますねー」


恐ろしいことを笑いながら話す男。

確かに記憶が人間にとってどれだけ大事か、今のあたしには身に染みるほどよくわかる。


「人間というのは記憶によって形作られている。では、全く違う人間の記憶が植え付けられてしまったら、その人間はどうなってしまうでしょうか?」

「そ、それって……」


嫌な予感がする。

これからされようとしてるのは、まさか。


「これから君には他人の記憶を思い出してもらいます」

「っ!」


冷や汗で脇の下がじんわりと湿っていくのを感じる。

これから起こることへの恐怖で早くも体が震えてきた。


「先ほど説明したエピソード記憶、意味記憶、手続き記憶に他人の記憶をそのまま上書きします。とはいえ、完全には上書きさせません。今日君が自分で経験したエピソード記憶だけはそのままにしておくので、強く今の自我を保てればなにも変わらないかもしれません。さて、君はどうなってしまうんでしょうかねー」


強く自我を保つなんてそんなのできるわけがない。

なんの思い出もない今のあたしには縋れる自我なんてほとんどないも同然なのだから。


「さて、それではいきますよ」


男はなんの躊躇いもなくタブレットを操作する。

あたしは心の準備をする間もなく、頭に強い衝撃を受けた。




────────




物心ついた頃には父親はいなかった。

母親が言うにはろくでなしだったらしい。

そんな母親も知らない男と家を出ていき、俺はすぐに独りぼっちになった。

施設に入れられた後も、俺は誰とも馴染めず孤立していた。

親からの愛を受けられなかった俺は他人が信用できなかったのだ。

荒れていた俺は自然と夜の街で生きていくようになった。

唯一と言ってもいい親からの贈り物である優れた容姿のおかげで、女と金には苦労しなかった。

引っかけた女の家に転がり込み、孕ませたら捨てて別の女のところへ行く。

この繰り返しだ。

クソみたいだがどこか充実感のある日々だった。

ところがある日、通りすがりの気に入った女に強引に迫って路地裏でレイプしたところ、つい勢い余って殺してしまった。

流石にやりすぎたと思いすぐに逃げたが、証拠が残っていたらしく警察に追われることになってしまった。

このままではいずれ捕まる。

観念するしかないと諦めかけていたそのとき、突然現れた怪しい奴らに拉致され、俺は……。


「……あっ、ぐっ……」


思い出した。

クソみてえな最悪な記憶を。

いや違う、これは俺の、あたしの記憶じゃない。

でも、あの女の首を絞めた感触が確かに思い出せる。

これは、どうして、あたしは。


「記憶データ転送完了。どうですか? 今日転送したのは素体番号27番の記憶データです。元の名前は、えーっと……そう、片桐哲夫。強姦殺人で指名手配までされたどうしようもないクズ男だったみたいですねー」

「……誰が、クズ男だゴラァ!? ぶっ殺すぞテメェ!」


目の前の男に怒りが高まる。

今煽られたこと、過去に拉致し実験に利用したこと、さっきまで非道な実験をあたしにしていたこと、二人分の怒りが今俺の中にある。


「怖いですねー、少し落ち着いてくださいよー」

「うるせえっ! テメェだけは絶対ぶっ殺す!」


口を開くとすぐぶっ殺すと言う言葉が出てしまう。

まるで口癖のように言葉が止まらない。

いや、これは俺の口癖だろう。

違う、あたしの口癖じゃない。

駄目だ、頭の中で自分じゃない自分がまるで自分みたいに暴れている。

あたしは自分を抑えられなくなり、立ち上がって男の方へ詰め寄った。

肩で風を切るような、威圧的な動きを勝手にしてしまう。

絶対元はこんな歩き方じゃなかったはず。

でも無意識のうちにこの歩き方をしてしまうのは、あたしの記憶がこの歩き方しか知らないからだろう。

あたしは怒りの赴くままに男に殴りかかろうとした。

しかし。


「ぐっ、なんだ、体が、動かねえ……」

「素体にはセーフティロックがかかっているので僕に危害を加える行動は取れませんよ。この話、前にもしたと思うんですけどねー」


そうだ、前にもこいつのくだらない実験に利用されたとき同じことを言われた。

ん?

前っていつだ?

少なくとも今日ではない。

つまり、これはあたしの記憶ではない。

植え付けられた記憶と元々あった記憶の境目が曖昧になって自分がどんどんわからなくなっていく。


「お、おれ……あたしは、そんなの聞いてない……」

「そうですね、君には言ってません。でも記憶にあるなら同じでしょう?」

「違う、俺は……あたしは、その男じゃ、ない……」


必死に自我を繋ぎ止める。

あたしはあたしだ。

片桐哲夫なんかじゃない。

片桐哲夫の経歴も性格も好みも全て自分のことのように熟知しているけれど、それでもこれは俺なんかじゃないんだ。


「そうですか、ではこちらを見てください」

「あァ……?」


男がなにかを後ろから引っ張ってきた。

布がかけられた板状のもの。

バサッ、と男が布を外すとそこにあったのは、一人の人間を映した姿見だった。


「こ、れって……」


俺はそれを食い入るように見てしまう。

そこに映っていたのは女だった。

歳は二十歳前後といったところか。

病院着のようなものを身につけていて、髪は肩で切り揃えられている。

体は全体的に細めだが、胸は服の上からでもわかるくらいにはでかい。

顔は小さく、目鼻立ちも整っていて、言ってしまえばかなりいい女だ。


「それが今の君の姿です」

「これが、俺……?」


長年見慣れている男の顔ではなく、初めて見る女の顔が鏡には映っている。

いや、あたしには長年見慣れた男の顔なんてない。

けれど、あたしには自分の顔の記憶すらない。

この顔も今初めて見たものだという認識しかなかった。

この顔と、記憶にある男の顔のどちらが自分だと思えるかと聞かれれば、間違いなく後者だ。


「色々と気になるでしょ? ご自由に堪能してください」

「ご自由に、って……」


これはあたしの体なのだ。

だったら自由にもなにもない。

俺の好き勝手にできるに決まってるだろう。

この女の体を、俺の好きに。


「っ、くっ……」


反射的に気持ちが昂ってくる。

今鏡に映る女。

俺はこいつを気に入った。

犯してやりたいという欲望がどんどん湧いてくる。

いやいや、落ち着けあたし。

そんな感情に流されたら駄目だ。

あたしは片桐哲夫じゃないんだから……。


「僕がいたらやりにくいですかねー? それなら少し席を外しますからどーぞご自由にー」

「え……? お、おいっ!?」


男はあたしを置いてどこかへと去っていってしまった。

残されたのは、鏡の前に立ち尽くすあたし。

ここには今誰もいない。

なにをしても咎める人間はいない。

あたしの理性が、記憶に飲み込まれる。


「……それなら、存分に味わってやろうじゃねえか」


俺はニヤリと笑みを浮かべた。

すると、鏡の中の女も悪人ヅラで笑い始める。

どちらかと言えば可愛い系の女だが、中身が俺ならこんな風になるのか。

面白え。


「しっかし、いい体してんじゃねえか」


出るとこは出て、引っ込むとこは引っ込んでるモデル体型だ。

この体の記憶がねえからなんとも言えねえが、これは相当な上玉だろう。


「まさか俺がそんな上玉の女だなんてな。へへっ……」


俺は服の上から胸を鷲掴みにした。

肉を掴まれる確かな感覚を胸から感じる。

これが女の胸の感覚か。

乱暴に掴むと少し痛みが走る。

だが、それが女の体を弄んでいることを連想させて背徳感をそそる。


「……ふうん、なるほどな……こっちはどうだ?」


股間に手を這わせる。

さっきまではここに違和感などなかったが、今となってはあるはずのものがないという感覚しかない。


「すげえ、マジでチンコねえよ……」


足の間に手を這わせてもなににも当たらない。

のっぺりとした股は自分の体ではないかのよう不思議な感覚を俺に味合わせた。

ふと顔を上げると、胸を握りながら股間をさする女が鏡に映っている。

頬を赤くさせながら自分の体を貪る姿は、まるで痴女だ。

俺が今まで犯してきた、股の緩い女そのもの。


「いいねえ、そそるじゃねえか……」


俺は病院着をまくって股に手を差し込んだ。

直に触ると、敏感なのか体が少し震えてしまう。

これが女のマンコか。

俺の興奮に応えているのか、既に割れ目からは愛液が垂れている。

もう我慢できねえ。


「んっ、くぅ……っあぁっ!」


俺は指をマンコの中に挿し込んだ。

敏感な内側が擦られる度に電流が迸るように快感が駆け抜ける。

これが挿れられる感覚か。

こっちも悪くねえじゃねえか。


「んっ、んあっ……やべえな、喘ぎ声が漏れやがる……」


甲高い女の声が自分の喉から漏れ出るのもヤバいくらいに興奮を高めてくる。

今まで犯してきた何人もの女たちとのセックスが、昨日のことのように脳裏に浮かぶ。

喘ぎ、よがり、乱れ狂う女たち。

あいつらこんなに気持ちいい思いしてたのかよ。


「オラっ、イケよっ……んんっ、お前もイッちまえ……!」


鏡を見ながら手を激しく動かす。

女としての快感を得ながら女を犯す気分も味わえる。

最高の気分だ。

昂った俺の心臓は全身に血を巡らせながら体温を高めていく。

呼吸が乱れ、浮かされたように熱くなった頭は完全にハイになっていた。

ああ、イクっ……!


「はい、そこまでです」

「へ……?」


いつの間にか近くに来ていた男がタブレットに触れる。

その瞬間、あたしの中にあった荒々しさの源とも言える忌まわしい記憶が、全て消え去った。


「あたし、なにして……あっ、だめっ、止まらなっ……んんッ! あっ、あッ、んんああァッ!!?」


既に限界に達していたあたしの体は、制止する心を無視して果てた。

ビクビクッと大きく震えながら潮を吹き、病院着に大きな染みを作っていく。

痙攣するようにガクガクとする体を両手で抱えながら、あたしはゆっくりとその場に座り込んだ。


「どうでした? 他人の記憶を体験した気分は」

「はあっ、はぁっ……あ……」


未だ熱に浮かされる頭の中は、その熱さに反して冷や水をかけられたような気分だった。

あたしは、なにをしていた?

他人の意思のままに、理性を手放して自分の体を貪って。

今となってはどんな人間の記憶を植え付けられていたのかも思い出せないけれど、頭に残るのはただの嫌悪感だった。


「性格も価値観も結局は全て記憶によって形成されるものです。記憶が他人のものになってしまえば本来の自分ではするはずがないことも平気でするようになってしまいます。いやー、面白いですねー」

「あんた……」


あたしは怒りに震えた。

もうこれ以上は我慢できない。

自分の中の激情を目の前の男に叩きつける。


「いい加減にしてよ! 人のことをどれだけ馬鹿にしたら気が済むの!? こんなことしてなんになるの!? なんであたしをこんな目に遭わせるの!? ふざけないでよ!」


あたしの怒りの叫びは、一笑に付された。


「だからデータのためですよ。そのための実験ですから。まあ今日はいいデータが取れたので続きはまた明日にしますかねー」

「っ!? あ、明日も!?」

「そうですよー。当たり前じゃないですかー。まだまだデータは必要ですから」


男の言葉にあたしは絶句した。

まだ明日も続く。

下手したらその先も。

いつからここにいるのかもわからないのに、この先いつまでここでこんな目に遭わされればいいのか……。

と、そのとき、あたしは引っかかりを覚えた。


「……あたし、いつからここにいるの?」

「はい?」


そういえばこの男は最初に変なことを口走っていた。

同じ反応、だと。

それに、ことあるごとに『今日の実験は』とも言っていた。

今日以外の実験があるかのように。

だったらもしかして。


「あたしが実験をされてるのは、今日が初めてじゃない……?」

「ほう! よく気がつきましたねー! この一年間で初めてですよこれは」


……今この男はなんと言った?

一年間?

あたしは一年もの間ずっとここにいたって言うの?


「少し口を滑らせすぎたかもしれませんが、一年間も続けて一度も気づかれませんでしたから油断してのかもしれないですねー。とはいえ、これはなかなかレアパターンですよー。今日の性格は優秀なようですねー」

「性格……? 優秀……?」


なんの話をしているのだろうか。

まだ、あたしの気づいていないなにかがあるというの?


「初めて気づいたご褒美です。今までのデータを少し見せてあげましょう。これは昨日の映像です」


そう言うと男はタブレットをあたしに向けてきた。

タブレットには動画映し出されている。

画面に映っているのはこの部屋にいるあたしと男。

どうやら監視カメラで撮影されているものらしい。


『あなた、私のことを知ってるの? というか、あなた誰なのよ!?』


あたしと男がやり取りをしている映像には、違和感があった。

あたしの口調が、なんか変だ。


「もう少し遡りましょうか。これは一週間前のものです」

『あなた、わたくしのことを知っているのですか? いえ、それより……あなたは誰なのですか!?』

「これは一ヶ月前」

『あ、あなた……わたしのことを知ってるんですか……? あなた、いったい誰ですか……?』

「これは三ヶ月前」

『アンタ、ウチのことを知っとんの? てか、誰やアンタ!?』


映像にはほぼ同じ構図であたしと男のやり取りが映されている。

しかし、映像に映るあたしの口調は全てバラバラだった。


「最初はずっと同じにしてたんですが、半年ほど前から毎日変えるようにしてるんですよ。その方が色々なパターンを見ることができるので」

「どういう、こと? あたしは、この性格だけは、元のあたしのものなんじゃないの……?」

「違いますよー。それは過去実験に使った素体の記憶データの流用です。その素体の既存ものではありません」


今日一番の絶望があたしを襲った。

なにも思い出せず不安でも今のこの自分だけは元の自分に繋がるものだと信じて縋っていたのに、それすらも偽物だった?


「だいたい、君には元から記憶なんかありませんよ」

「……え?」


男の言葉に頭が追いつかない。

こいつはなにを言っている?


「君は僕が培養した素体番号12番のクローンです。家族も友人もいなければ思い出もないですし、当然帰る家もありません」

「え……? え、え……?」


わからない。

わからない。

なにを言っているのかわからない。


「だから。思い出す記憶なんて君には最初から存在してないんですよー」

「で、でも……あんた、あたしの記憶消したって……」

「それは実験に関するエピソード記憶を毎日消しているというだけです。もちろん明日の実験のためにも今日の記憶は消しますよー」


男はタブレットを操作し始める。

あと少しで、この記憶がなくなる。

そうなればあたしはまたなにも知らない状態になり、今日と同じようにこの男の実験に使われる。

でも明日になれば目覚めるのはまた別の性格のあたしだ。

今の記憶と連続していないそれは果たしてあたしと呼べるのだろうか?

昨日のあたしだって今のあたしとは別人のようなものだ。

記憶を共有してないあたしは全員あたしではない。

だったら本当のあたしってなんなの?

本当のあたしはどこにいるの?


「はい、それじゃあ記憶削除」


あたしって、誰なの?


Related Creators